Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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この国の成り立ち (1)
ーー見知らぬ南の大陸ーー
前田晶子 
世界に類を見ない成り立ちをしたオーストラリア、その生い立ちをひもといてみましょう。
なんといってもオーストラリアの成立に貢献したのは、有名なキャプテンクックです。イギリス政府はタヒチ島での天文観測を目的として仕立てたエンドーバー号に天文学者、植物学者、画家と当時の一流人を乗せ、船長にはすでに測量の分野では誉れ高かったクックを指名しました。
タヒチでの仕事を完了したクックは、国を出るとき手渡された密書の封をおもむろに切りました。密命の内容は「南へ航海を続けどんな土地でも発見したならば、イギリスの領地にして来い」というものでした。当時の列強(オランダ、スペイン、ポルトガル、フランス、)は、世界中に船を出して国の益となる物(香料、茶、金銀等)や土地をあさり回っていました。実際にはクックが来る何百年も前に、ポルトガルやオランダが北や西海岸へ来ているのですが、全然興味を示さなかっただけでした。
その頃オーストラリアはヨーロッパの人々には、Terra Australis Incognita (Unknown Southern Land )と呼ばれていました。それでもクックの航海の数十年前にはフランスで見知らぬ南の土地に早急に植民地を作るべきという本が出版され、フランスと敵対関係にあったイギリスは少々焦っていた様です。
使命を果たすべくクックは南へ進み、ニュージーランドの南北の島の周りを巡りこの航海でまず一回目の領土宣言、次に航路を西に向け1770年 4月にはオーストラリア東海岸を発見、シドニーのすぐ下のボタニーベイへ上陸、さらに北へと沿岸を上がり、グレートバリアリーフ付近で運悪く珊瑚礁に乗りあげ座礁、クックはシップマンとしての能力を発揮して切り抜け、クックタウンで船を修理しヨーク岬の角にある小さな島に上陸、ここで二回目の領土宣言をしました。それにちなんでこの島は今でもポゼションアイランド(Possession Island)と呼ばれています。
ここでちょっと注目しておきたい事実があります。この時キングジョージ三世の名のもとに宣言されイギリス領土となった地域は、キャプテンクックが航海した海岸すなわちハウ岬からヨーク岬までの沿岸(島、湾、川も含む)だけだったということです。
帰国して国民的英雄として迎えられたクックは彼の名づけたニューサウスウエールズについて大変展望ある素晴らしい報告書を提出しています。ですが政府はアメリカの反英運動に気をとられ、又すでに東インド会社を持っていた為新たな貿易の対象としても、まったく興味を示しませんでした。
ようやく気を向け始めたのは、18年も経ってからのことでした。
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