Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (1)

5年前にスタートした MELBOURNE Street by Street は、過去10年のユーカリで一番人気のあったコラムです。初期のものを 読む機会がなかった読者の皆様のご要望に応えて、ウェブサイトに移ったのを機に再掲載することにしました。5年の間に変化した状況や数字は追加・訂正してありま す。

Collins Street ― その1 ―

Paris end

ケン・オハラ

一般に、ガイドブックにある歴史的建造物は古い建物である。しかし比較的新しい建物にもそれなりの歴史がある。ひとつの建物はその時代の社会、経済、政治を反映し 、建設の決定、過程には曰くいきさつがある。それは、とりもなおさず人間のドラマでもある。無機質の建材からなるビルディングの林立する街並みであっても、その生い立ちを 少し知れば、街を見る眼は一変し、興味深いものとなる。これからメルボルンの街並みを少しずつ紹介していきたい。

まずは Collins Street の “Paris end” から。

Collins Street の東の 端、 Spring Street に近いあたりは、通称 “Paris end” と呼ばれている。このあたりが古いヨーロッ パの街の雰囲気に似ていることから、そう呼ばれてきた。残念ながら古風なヨーロッパ式の格調高いビルディングの多くは、すでに取り壊されてしまった。しかし、いくつかはか ろうじて残っている。

では最初に、 1 Collins Street を見てみよう。古い建物を修復保存し、新しいオフィスタワーと組み合わせてある。この角の建物が完成したのは18 77年。当時のオーストラリアの二代目の首相 Alfred Deakin と画家 Tom Roberts はここの住人であった。

オフィスタワーの方は、シンガポールの実業家 Jack Chia が1984年に完成させた。彼は財産をこのビルディングや South Yarra のコモ プロジェクトなどのオーストラリアの不動産開発につぎ込み、その多くを失ったといわれる。一時期、 Jack Chia はこのビルの上部2階を、メルボルンのペントハウス として使っていた。当時の彼の栄華を映した大理石の浴室は今は無く、すべてがオフィスとなっている。

道を渡った反対側の5番目までのビルディングは、20世紀初期の建築様式の見本のようなものといえる。このあたりでは沢山のドクターが開業している。ビルディング の古い新しいにかかわらず、 Collins Street の “Paris end” で開業している、ということが高い格付けとなるからである。

Collins Street で最も際立った建物といえば、ここにある Melbourne Club であろう。 Melbourne Club といえば 、保守と権威の象徴として知られ、入会に際してはいまだに性別、人種差別がまかり通っている。歴史的建造物としても有名で、庭園にある木も歴史的保存物として登録されている。

また反対側に道を渡ると、 Collins Place に Sofitel Hotel (旧 Regent Hotel )がある。この Collins Place は1972年に開発が始められ、会社の破綻劇の舞台として当時のジャーナリズムをにぎわした場所である。1974年、ここを手がけた Mainline Corporation が破綻した。原因はオーストラリアの不動産価格の下落と組合とのトラブルであった。当時、ここは不動産開発会社と組合の戦場であったといわれる。やっと完成したのは1981年。 Mainline Corporation が破産したとき、組合のトップは “It couldn’t happen to a nicer bunch of prize bastards” (奴らがまともだったら、こんなことにはならなかったはずだ。ざまあみろ)と言ったという。

残念ながらここで指定の分量が尽きた。この続きは来月に。

  

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