MELBOURNE Street by Street (2) |
Collins Street ― その 2 ― |
ケン・オハラ |
Paris end を過ぎ Exhibition Street を渡ってから Russell Street までの第二ブロックは、メルボルンの建物の典型といえるだろう。歴史的な建物があり、一つ一つのビルディングはその建設に取り組んだ会社の経済破綻の傷跡を背負っている。 |
ナウルハウスの所有地に囲まれたこの角の建物は、Collins Street に現存するドクターハウス及び外科医院としては一番古いビルディングである。1867年に建設され、1911年まで多くの外科医がここで開業していた。その後、 長い間銀行として使用された。1993年に時計のローレックス社に$3m(300万ドル)で買収された。ローレックス社には時間のゆとりがあった。ここを使い始 めたのはその5年後だった。 |
向かい側にある品格のあるエレガントな建物(75~81 Collins Street)はAlexandra Club で、女性のために建てられた。 83~87 Collins Street は The Athenaeum Club。メンバーは実業界などの名士が多いが、 the Melbourne Club ほど保守的ではない。 |
101 Collins Street 、ここもメルボルンの他の大きなビルディング同様に、建設にかかわった会社の経済破綻の歴史がある。オーストラリア最大の鉱山採掘会社グループ CRA は、1974年に55階建ての建設許可をとり、ここに当時のメルボルンで最大のビルを建てる計画を立てた。それから20年間を費やしたあげく、計画を放棄し売却した。後からみ れば、妥当な判断であったといえる。1991年に辛くも完成したが、ジョイントベンチャーのパートナー Kern Corporation はその翌年倒産した。他のパートナー Australian Government Employees Superannuation Fund (国家公務員のための年金基金)は、経済的深手を負いつつも 、その損失の多くは国民の税金で補填(ほてん)され生き残った。現在このビルディングは全て Australian Government Employees Superannuation Fund の所有となっている。 |
道を渡って90 Collins Street に戻る。このビルディングの半分のオーナーは日本の会社伊藤忠と狭間組だった。狭間組は長い間売却を試み1997 年にやっと買い手をみつけた。 |
120 Collins Street. 最初に手がけた不動産開発会社Essington は途中で倒産し、オーストラリア一の富豪といわれる Kerry Packer とこれまたオーストラリアきっての大建設会社 the Grollo Brothers によって1991年に完成された。 |
Kerry Packer はオーストラリアの富豪として知られ、テレビのチャネル9、雑誌 Woman’s Weekly など、シドニーの新聞、雑誌のオーナーであり、最近メルボルンのクラウンカジノのオーナーにもなった。国際的に名高いギャンブラーでもある。 |
The Grollo Brothers はオーストラリア4大建築会社の1つで、リアルトビルディング、メルボルンのクラウンカジノなどを手がけている。父親が第二次世 界大戦直後にイタリアから移民。幾たびかの建築ブームの波に乗り、一代で大会社に築きあげた。それを息子や孫たちが引き継ぎさらに発展させている。 |
また道を渡ると反対側に Grand Hyatt Hotel がある。1986年にやっと完成にこぎつけた。しかし、初めて the Grand Hotel Trustの株が株式市場に出たとき、投資家たちはまったく興味を示さなかった。 Underwriter (応募者のない株式、社債などを全部 引き受ける)となっていたMcIntosh が受けた打撃はあまりにも大きかった。自立が困難となった McIntosh は、世界一といわれたアメリカの株式ブローカー Merrill Lynch に買収された。 |
さて次のブロックへ行く前に、Russell Street の角にある 1867年建造の St Michael’s 教会のただずまいを観賞することにしよう。そして浮き世の過酷な経済、産業界のドラマをしばし忘れ一息つくことにしよう。 |