Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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6 オーストラリア特有な代名詞

Swagman                      スピアーズ洋子

オーストラリアのお土産店で、どうみてもパットしないみすぼらしい格好の男の人形をみかけることがあります。よく見ると帽子をかぶり、背中に丸めた毛布を背負っています。なぜこんな姿の人形が、といぶかる人が多いようですが、これが swagman 人形です。後の世に、まさか自分たちの姿が人形となって海外の観光客に土産品として売られるなんて、当時の swagman たちは夢にも思わなかったことでしょう。

19世紀、夢を抱いてオーストラリアに渡ってきた人たちの全てが、夢を実現したわけではありませんでした。農場主にはなれず、かといって町で定職には就くけず、あるいは就きたがらずにドロップアウトしてしまう人たちに対して、オーストラリアの the bush は懐が深かったようです。

温暖な気候は野宿を可能にし、どう猛な肉食獣がいないので命にかかわる危険も少なく、いくらかの食料と水があれば、その日その日をなんとかしのいで生きていくことができました。煩わしい都市生活、法と規則と金と時間に縛られながら、あくせく働き暮らすことに適応できず、意味を見出せなくなった男たちは、わずかな身の回り品を毛布に包んで、都会を背にthe  bush に入っていきました。食料が無くなると農場へ行き、下働きをさせてもらって代わりに食事をさせてもらい、食料品などをもらって、また放浪の旅に出ました。

Swagman の中には、Waltzing Matilda にもあるように羊を盗すんだり、食料品や日用品をくすねる者もいたようですが、ごく一部にすぎず、大体は仲間や集団を嫌い、単独行動で犬などを連れて徒歩で放浪するのが彼らの姿でした。

産業が発達し様々な職業ができ、定職に就く機会も増えて、人々にも近代社会に適合する能力もそなわり、社会福祉制度も整ってきたためでしょう。Swagman の姿は土産店にしか見られなくなりました。

Mate, Digger and Cobber

Mates, Diggers and Cobbers は、 相棒、同士、仲間という似た意味がありますが、やはりそれぞれ少しニュアンスが異なります。このなかで、なんといっても日常で一番よく使われているのは mate です。”G’day mate.”  “How are you mate?”  “Good on you mate.” と挨拶にも気軽に使われます。Mate はオーストラリア人の男性の間で、労働者は政治家から首相に至るまで広く使われ、最近は女性も使うようになりました。お父さんが息子に言ったり、大人が子供を一人前に認めるという意味あいで言う場合もあります。

日本は上下関係を大事にする縦社会とすれば、オーストラリアは横の関係mateship を大切にする横社会といえます。
 Cobber も mate とほとんど同じ意味ですが、現在はあまり使われていません。


Digger

Digger は1850年代のメルボルンのゴールドラッシュに始まり、現在も使われていますが、いまでは意味がほとんど違ってきています。

日本ではゴールドラッシュといえば、アラスカ、カリフォルニア北部が有名ですが、メルボルンのゴールドラッシュはあまり知られていないようです。金鉱の発見で、メルボルンが一時期世界で最も富める都市であったことを知る人も少ないようです。でもメルボルン市内の一部の建物、郊外、バララット、ベンディゴなどの地方都市を訪れてみると、その遺産を建築物にみることができます。そしてその主役を務めたのが diggers でした。
 英和辞典で digger を引いてみると、掘る人、炭坑夫、採金坑夫などがあります。1850年代の後半、diggerといえば文字どうり採金坑夫のことでした。金鉱の発見で湧くメルボルンは建設ブームでしたが、一攫千金を夢見る男たちは建設道具を投げ捨てて、スコップ片手に金鉱へと向かいました。そのため多くの建築は建設を一時ストップせざるをえず、完成が大幅に遅れた、ということです。
 ゴールドラッシュが終わり、時代が変わって digger が再登場したのは、第1次世界大戦でした。4月25日のアンザックデーの起源となったガリポリ海岸上陸作戦では、丘の上で待ち構えているトルコとドイツ軍の攻撃から身を守るために、塹壕を掘ることが兵士たちの第1任務でした。まず溝を掘って身を隠す場所を確保するのが至上命令でした。しかし塹壕を出て突撃を開始した兵士たちは、丘の上から狙い撃ちされ、ほとんど全滅という悲惨な戦いで、この上陸作戦は失敗に終わりました。

ガリポリに限らず、ヨーロッパの戦地でも兵隊たちの仕事は塹壕掘りから始まることが多く、このころ頃からヨーロッパの戦地でも、オーストラリアとニュージーランド兵は自らをdigger と呼ぶようになり、母国でもそう呼ぶようになりました。この呼び方は今でも兵隊さんの代名詞として、テレビや新聞紙上などで使われています。

ん。

Ocker

Ocker はオーストラリア人のことですが、アメリカ人に対してのヤンキー、日本人に対してのジャップとは意味あいが少し違うようです。

昔は Oscar Stevens という名前を略して Ocker と呼んでいたということですが、1970年代に入ってヒットした連続テレビ番組にでてくる人物が Ocker と呼ばれ、一躍有名になりました。

この人物、いつもTシャツにショーツ、ソング(ゴムぞうり)を履いて、片手にビールという格好で画面に登場したので、それから、このタイプのオーストラリア人を ocker と呼ぶようになったということです。これは仕事を離れて、リラックスしているオーストラリア人の男性の姿といえるでしょう。

Ocker はオーストラリア人に対しての総称というよりは、このタイプのオーストラリア人を指す場合が多いようです。

Strine


Strine は Oz と同様オーストラリア、オーストラリア人のことです。

1965年に “ LET STALK STRINE” というタイトルの小さな薄い本が発行されました。その本がシドニーの新聞 Sydney Morning Herald にとりあげられて評判となり、それ以来 Strine はオーストラリア英語としての市民権を得たようです。Oz ほどではありませんが、気をつけていると新聞、雑誌などで時々みかけます。Strine という単語を見ただけでは、これがどうして Australiaになるのか理解しかねますが、例えば “Let Stalk Strine language” “New Strines” というように他の単語と続けて発音すると、オーストラリア国内ではよく通じるということです。

Pommy and Poms

 Pommy はオーストラリア英語のスラングでイギリス人のことです。Poms は pommy を略したもの。

多少侮蔑的なニュアンスが含まれて、アメリカ人を意味するYankee、日本人を意味するJapは、英和辞典に載っていますが、同じ意味あいのpommy は載っていません。オーストラリア版の Collins English Dictionary で pommyを引いてみると、Slang. A mildly offensive word used by Australians and New Zealanders for an English person. (オーストラリア人とニュージーランド人が使うスラングで、イギリス人を意味し、やや侮蔑的な意味あいがある。)とあります。

由来は正確にはわかっていません。一説には poms には、”prisoner of Mother England”  というのがありますが、確かな根拠はないようです。他に子供たちがイギリス移民にたいするはやし言葉、 IMMY-GRANY, JIMMY-GRANT, POMMY-GRANT が  IMMY, JIMMY, POMMY と変化した、という説もあります。

以前は、pommy にはイギリス人を揶揄する意味がかなりあり、それにはオーストラリア人のイギリス人に対する対抗意識なども含まれていた、ということですが、現在ではあまり特別な感情を含まず、かなり普通に使われています。それはオーストラリアが国として成長し、かつての母国イギリスに対して、劣等感や対抗意識を抱く理由がなくなってきた、ということでもあるのでしょう。

Larrikin

辞典で larrikin を引いてみると、豪俗語、よたもの、ごろつき、とあります。まずまずの訳といえるでしょう。

オーストラリアでlarrikin という言葉がよく使われたのは、19世紀のシドニーとメルボルンでした。

そしてオーストラリアにおいては、ただの不良、よたもの、ごろつきというだけでなく、antiestablishment、 antiauthoritarian (権威や権力)に対する反撥、反抗の意味も含まれていたようです。
 また、larrikins はシドニー、メルボルンの都市の不良の若者たちのことで、それぞれのグループには名前もついていました。彼らには独特のファッションもあり、頭にはストローまたは黒のフエルトの帽子をかぶり、首には赤いネッカチーフ、白いシャツにジャケット。靴は先が尖った高めのヒールのブーツ。これはけんかの場合には武器にもなりました。
 Larrikins とその風俗をモデルにした本も、シドニー、メルボルンで19世紀終わりから20世紀初頭にかけて、数冊出版されています。ちなみにタイトルは、King  of the Rocks, The Sentimental Bloke などというものでした。
 両都市で不良の若者たちがぐれたり、よたったり、互いのグループでけんかをしているうちは大目に見られていましたが、19世紀末にシドニーでレイプ事件を起こし、その他にも、ある水夫をグループで蹴って殺す事件があってからは、larrikins に対する世間の風当たりが急に強く冷たくなりました。

19世紀の終わりとほぼ時を同じくして、風俗としてのlarrikin も終わりを告げたようです。とはいえlarrikin に関する人々のノスタルジックな思いは消えることなく、20世紀に入ってからも本が出版され、現在でも新聞雑誌などに、この言葉は時々登場しています。


Drongo

Drongo はオーストラリアとニュージーランドで使われているスラングで、とんま、間抜け、バカという意味です。

元来は、オーストラリアの北部に生息する drongo という鳥の名前で、南アジアにも同種が多くみられます。では、なぜ drongo にとっては不名誉な、バカや間抜けなどの意味に使われるようになったのでしょうか。Drongo の習性とは全く関係のない競馬が由来ですから、drongo にとっては迷惑な話です。

1921年のこと。非常に毛並みの良い3才馬に、オーナーはDrongo と名前を付けてレースに出場させました。Drongo は決して遅い馬ではなかったのですが、優勝の運には恵まれていませんでした。ビクトリア州レースクラブのダービーと St Leger のレースでは2位。オーストラリア・ジョッキークラブの St Leger では3位。1924年のシドニーカップでは5位でした。翌年、オーナーはレース運が付いていない Drongo をリタイヤーさせました。

しかし、この頃から少しの差で優勝を取り逃がしたりする、不運な馬のことを drongo というようになりました。それが馬だけでなく人にも使われるようになり、意味がだんだん拡大し変わってきて、失敗ばかりしている愚か者、バカ、とんま、間抜けなどの意味に使われるようになりました。

オーストラリアでは相手を侮辱する言葉を使って罵倒したりすると、訴えられることがあり、警察官に向かって使うと現行犯で逮捕されます。クイーンズランドでは、デモをしていたカップルが形容詞として使ったのに、警察官の耳に入り、逮捕された例があります。Drongo は立派な insulting language です。ご使用の際にはご注意を。

A battler

A battler は、日本人からみれば、のんびりして見える現在のオーストラリア人の暮らしぶりからは、ビンと来ない言葉です。社会福祉もある程度はととのい、職を失っても生存をおびやかされることなく、最低限度の生活の保障はされるようになったので、a battler の実感は薄れてきて、 a battler の意味も時代と共に変わっています。

Battler は battle(戦い)から来た言葉で、つまり文字通り、日々の生活の糧をえるために戦い働く人のことでした。

植民当初は wanderers といって職に就けず、農場などを渡り歩くその日暮らしの労働者たちがいました。Swagman, sundowner と呼ばれた人たちで、battler もその仲間でした。

一時期は戦場から帰ってきた兵士にも使われました。

A battler には、一所懸命努力をして奮闘しているにもかかわらず、浮かばれない、運がついていない人という意味もあり、決して蔑みの言葉ではなく、むしろ同情の意味も含まれているようです。

1920年代の世界恐慌の頃は、失業者の意味に使われました。

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