8 独特な表現と用語・慣用句
Fair dinkum スピアーズ洋子
Fair dinkum はオーストラリアのみで使われるスラングで、本当、真実、正真正銘、嘘偽りのない、という意味です。イントネーションの付け方で、「本当」「本当!」「本当?」とニュアンスが違ってきます。
語源ははっきりとは解かっていないのですが、イギリスのランカシャー地方の方言に重労働を意味する dinkum という言葉があって、たぶんそこからきた言葉ではないか、という説があります。昔はきつい仕事を公平に分け合ってするという意味がありました。Hard work と fair share の両方の意味が含まれていました。それがだんだんと変化して fair dinkum となり、意味も本当、真実、正真正銘というように変わってきました。
イギリスの辞書では、第1次世界大戦の時のヨーロッパで、オーストラリア兵が dinkum という言葉をよく使うので、オーストラリア兵のことを dinkum と呼ぶようになった、と書かれていますが、これはオーストラリアではあまり知られていません。Fair dinkum と同じ意味で dinky-di という言い方もあります。以前は dinky-die と綴っていましたが、いつの間にか e がとれてしまって、現在は dinky-di と綴っています。
Blue
赤、黒、白、緑、黄色、灰色、ピンク、青などは、ご存知のように色の他に別の意味があります。色の意味は世界的に共通していることが多いのですが、その国独特の場合もあります。
一般的に blue は憂鬱な気分を表すのに使われますが、その他にもいろいろな意味があります。
英国では保守政党の象徴。 Cambridge Blue はケンブリッジ大学の校色。A blue は大学でのスポーツの優勝。Blue brooded は貴族または名門の出身を意味します。かつての bluestocking のように、学問に秀でた女性に対して blue ladies という言葉がありました。もう少し現代的な例をあげると、blue collar は労働者、blue Monday 休み明けの憂鬱な月曜日、 blue chip は優良株、blueprint は青写真などがあります。
以上は英語圏での一般的な使われ方ですが、オーストラリア英語での blueは独特な使われ方をしています。赤毛に人のニックネームは blue または bluey 。なぜ赤毛が blue と呼ばれるのか知りませんが、間違いではありません。Make a blue は間違えること。Pick a blue
または stack on blue は言い争い、ケンカになること。交通違反者または交通違反をすることは bluey またはcop a blue。Bluey には羊の番犬という意味もあります。Tasmanian bluey は屋外で働く時の仕事着。
Buckley’s chance
Buckley’s chance はオーストラリアとニュージーランドで使われているスラングで、無きに等しいチャンス、という意味です。
使い方にバリエーションがあります。
You have got Buckley’ chance. またはYou have got two chances, your’s and Buckley’ s.あるいは短くYou have got Buckley’s.
いずれも、可能性の少ない絶望的な状態、万が一のチャンス、無きに等しいチャンス、という意味です。由来ははっきりしませんが、次のようなエピソードから、というのが定説になっています。
時は1800年代。William Buckley という囚人が1803年に Port Phillip の犯罪者の入植地から逃亡して、現在の Geelong に当たる地域のアボリジニーたちの中に入って生存。1835年に32年にわたる逃亡生活に区切りを打って投降。その後は白人社会に戻り、1856年に亡くなっています。このような体験をしたのは、オーストラリアでは入植200年の歴史の中で、William Buckley ただ一人であったようです。William Buckley はありえないようなチャンスを運良く生き延びたことになるのでしょう。
Buckley’s chance は現在でもよく使われていて、新聞、ラジオ、テレビなどにもよく登場しています。
The great Australian dream
日本ではアメリカンドリームという言葉の方が知られているようです。アメリカンドリームは、誰でも努力と運しだいで、自分の夢や野心を実現するチャンスがある、ということですが、the great Australian dream は意味がだいぶ違います。The great Australian dream は自分の家をもつこと。それもa house on a quarter acre bloc(約1000平方メートルの土地付きの家)のことでした。1970年代くらいまでは、これといった才覚がなくてもまじめに仕事をしていればローンを組んで30歳前後で持ち家が可能なことでした。だからこそ the great Australian dream であったわけです。ところが現在は、都市近郊では難しくなってきています。人口が都市に集るようになってからシドニー、メルボルン近郊では値段が上がり、場所柄にもよりますが30歳前後で庭付きの家というのは難しくなってきました。初めはユニットといわれるアパートメントもしくはタウンハウス(前後に小さな庭のある小さな平屋で隣と隣接している。)がせいぜいとなっています。
新聞、ラジオ、テレビなどで、the great Australian dream はどこへ消えた? というようなタイトルを見かけることがあります。
The workingman’s paradise
The workingman’s paradise は、イギリスからの移民 William Lane が1892年に書いた、オーストラリアの労働者をテーマにした小説のタイトルです。
1861年にイギリスで生まれた William Lane は、16歳で北アメリカへ渡り、カナダとアメリカ合衆国でジャーナリストとして新聞社で働いた後、オーストラリアに移民しました。オーストラリアでもクイーンズランドでジャーナリストとして仕事をし、ストライキを指導したり、労働党員として活躍したりして、オーストラリアでは社会改革者として位置づけられています。
メルボルンの石工夫(建設工夫)が、世界に先駆けて英国や米国よりずっと早く1日8時間労働を勝ち取ったのが1856年のことですから、オーストラリアは「労働者の天国」といえるのでしょう。その伝統は現在でも強固に守られているようです。終身雇用こそまれですが、他国に比べ労働者はかなり手厚く保護されているようです。
その一端は、スラングにもなっている sickie (病欠のことですが、しばしばずる休みに利用される。)、 compo(compensation の略で職場でのケガや病気の補償金) や、minimum wage (最低賃金)、basic wage (人間らしく生活する為に必要な基本給)、penalty rates(残業、休日出勤などに支払われる特別賃金で普通より高い。)などという言葉からもうかがえます。
しかしこれらをあわせると雇用者側の負担が大きく、1980年代の不況では、企業はもとより、公務員、教師などの大幅な人員整理が敢行され、失業率も12%にまで上りました。それでも次の仕事がみつかるまで失業保険がおりるので、のんきにゴルフなどをしている人もいました。さすがは労働者天国!と思ったことでした。
The lucky country
The lucky country は1964年に出版された、オーストラリアの学者、ジャーナリスト、作家でもあるDonald Horne という人が書いた本のタイトルです。恵まれた自然と豊かな資源に支えられた1960年代のオーストラリア人の生活ぶりが描かれています。
他の先進国に比べ給料も生活水準も劣ることなく、仕事もたくさんありました。若者が海外で1、2年遊んできても、帰国すればすぐ仕事がみつかりました。なにせ豪ドル1ドルが日本円で500円弱だったのですから、そのラッキーカントリーぶりがうかがえようというものです。
本は大変ヒットしてthe lucky country は1960年代のオーストラリアを形容する慣用句としても、さかんに使われました。しかし幸運がそういつまでも続かなかったのは、世相をたどるまでもなく、後に書かれた同作者による本のタイトルによく表れています。
Death of the Lucky Country (1976年)、The Lucky Country
Revisited (1987年)。1980年代に日本で出版された、オーストラリアについて書かれた本の目次の中に、「病めるラッキーカントリー」というのもありました。オーストラリア人の中でも、この言葉を嫌ったり、皮肉やアイロニーを込めて使う人も少なくなかったようです。
1980年代に入り、前半では失業率2ケタを経験したこともあるオーストラリアですが、必死の対策と努力のかいがあってか、幸運の女神がまた微笑みかけているようですが、油断大敵。21世紀のオーストラリアはどのような国になっていくのでしょうか。
The oil, the dinkum oil, the good oil
ここにとりあげた oil は情報という意味です。Oil が何故、情報という意味に使われるようになったのかさだかではありません。第一次世界大戦中、オーストラリアの兵隊がヨーロッパ戦地からの情報に、あるいは戦地の兵隊が母国オーストラリアの情報に関して使ったという説もあります。
The oil はうわさやデマなどのいかがわしい情報に対しての、信頼できる情報という意味に使われます。
The dinkum oil はdinkum の意味が本当、真実、本物という意味ですから、正しい情報、信頼できる筋による情報、という意味になります。
The good oil も the dinkum oil とほぼ同じ意味で、信頼できる有益な情報、ということです。これらのいずれも、情報を得た側にとって有益な情報である場合に使われます。
普通の英語でoil は油の他に、お世辞、ワイロなどの意味がありますが、情報というのはオーストラリア独特の使い方のようです。
Torrens Title
Torrens Title はあまり聞き慣れない言葉です。何かの役職かな、と思う人がいるかもしれませんが、この場合の title は権利の意味。Torrens Title とは土地の所有権を証明する登記システムのことです。オーストラリアで土地や家の売買に関わる場合は、必ずこの Tollens
Title のおせわになります。
1858年に南オーストラリアでは、Sir Robert Richard Torrens によって、世界で最良といわれる土地の登記システムが採用実施されました。
それまでは、土地の所有権は売買や譲渡によって手に入れた登記証書によって証明されていました。しかしこのシステムだと、もしも登記証書を盗まれたり紛失した場合、所有権を証明できなくなってしまうおそれがあります。
アメリカの一部ではまだこの古いシステムがあるため、登記証書に保険をかけなければなりません。土地所有権専門の保険会社もあります。万が一紛失した古い登記証書をかかげて、誰かが土地の所有権を主張しないともかぎらないからです。
Torrens Title ではLand Title Office
(土地登記所)が、登記証明の台帳を管理保管し、台帳にはそれぞれの土地の所有者の名前が記録されています。売買や譲渡によって所有者が変わった場合は、そのつど所有者の名前が書き換えられます。台帳に所有者の名前が記されている限り、所有権は政府によって保証されます。
このシステムは、1858年に南オーストラリアで 最初に実施したSir Robert Richard Torrens の名前にちなんで、 Torrens Title
と名づけられました。現在は、オーストラリアのほとんどの地域と、ヨーロッパ、カナダ、アメリカの一部、シンガポールなど多くの国で採用されています。またロシアでは、共産主義が崩壊してから、土地所有権登記システムを新設するにあたって、オーストラリアのチームがその作成を手助けしました。
Two-up
Two-up は、かつてはAustralia’s national game といわれたほど、オーストラリアの男性の間で人気のあった賭博ゲームでした。俗に swy と呼ばれ、ドイツ語の zwei からきているということですが、真意の程は定かではありません。
ゲームそのものは単純で、spinner と呼ばれる仕切り人に当たる人が、二つのコインを上に放り上げ、heads or tails (裏か表か)にお金を賭けるゲームです。賭けをするグループや場所によっては、コインは何メートル以上投げあげなければならないとか、いろいろと細かいルールが決められています。コインは pennis (十進法になる前に使われていたコイン)が使われました。
現在 two-up はカジノにあるたくさんのゲームのなかのひとつですが、かつては違法の賭博で、警察にみつからないように陰で行われていました。
1800年代の移民が始まった頃から、すでにあちこちで行われていた賭博です。もっとも起源までさかのぼると、中国とかイギリスの田舎とか、諸説があるようです。
いずれにしても two-up は男の賭博ゲームで、なぜかアンザックデーには法的なおとがめなしで大っぴらに行われてきました。特に田舎のホテル(パブ)で盛んだったということです。
2002年のシドニー・オリンピックでは、開会式の中で、オーストラリアの歴史や習慣が紹介され、その中に two-up をしているパフォーマンスがありました。
Dorothy Dix or Dorothy Dixer
議会などの質疑応答の場で、大臣があらかじめ用意した回答が述べられるように、与党側の議員が打ち合わせておいた質問をすることがよくあります。Dorothy Dixまたは Dorothy Dixerは、こういう状況を形容するのにつかわれます。国会の中継放送がある時期には、新聞、ラジオ、テレビなどで、時々お目にかかる、あるいは聞く名前です。
由来はDorothy Dixerという、かつてオーストラリアに実在したラジオなどで人気のあった人生相談のコラムニストの名前からきているとのこと。質問は前もって用意されていることが多く、質問も答えも自分で創作したこともあったらしいとか。そんなところから、ジャーナリズムで、根回しされた質疑応答のことをDorothy Dixer または短くDorothy Dix というようになりました。
Never-never
オーストラリアには変わった地名がたくさんあります。アボリジニー語をそのまま地名にしたもの、アボリジニー語の単語の発音に似た英語の単語を当てはめたものなどいろいろです。
Never-never の場合、そのどちらなのかはっきりしません。初期の開拓当時、1880年頃から、クイーンズランドやノーザンテリトリーなどの所有者のない土地、という意味で使われ始めたということです。あるアボリジニー語に 「Nievah
vahs」という言葉があって、その意味は誰にもどこにも属さない土地。このアボリジニー語が誤ってNever-never と聞き取られ、そのまま同じ意味に使われるようになったのでは、という説があります。
他にもいくつかありますが、開拓者が住み着いた土地に対する気持ちを表すもので、ある者は去るにあたり、決して戻ってくるものか、と思い、又ある者は反対に決してこの地を離れたくない、ということで Never-never が使われた、という説もあります。
ただ、なんといってもNever-never が全国的に知られるようになったのは、Mrs Aeneas Gunn が書いて評判になった、オーストラリア北部を舞台にした本 We of the
Never-Never によります。この本の初版は1908年。これまでまでずっと再版が続いています。1983年には映画化もされています。オーストラリアの開拓時代、遥か人里離れたところでの生活を知るてがかりになる本です。
現在ではオリジナルの意味から少しずれ、人里離れた辺鄙なところ、という意味に使われ、他のオーストラリアンイングリッシュの、out back, the bush と似た使われ方をしています。
Never-never の全く異なるもう一つの意味は、スラングで後払い。品物を先に受け取っておいて、払いはずっと先、または月賦払いのことをいいますが、現在ではほとんど使われていないようです。