Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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ワインに親しもう (9

――― ビクトリアのワイナリー 、ヤラバレー―――

前田晶子          

ここビクトリアは小さい州ながら、ぶどう作りに適した場所が多く、ワイナリーがたくさんあります。ほとんどの地域に点在しているので、少し郊外をドライブしていると、ワイナリーの看板をよく見かけます。

ニューサウスウェールズとの州境を流れるマリー川沿い、州の真ん中を流れるゴールバン川沿い、メルボルンの港に流れ込むヤラ川の上流など川の付近が多いですが、東沿岸地帯に広がる有名な牧草地帯、ギプスランド、メルボルンの港を囲むモーニングトン半島、対岸のジーロンにもあります。大まかに分けてワイナリー地区は10箇所にもなります。

数あるワイナリーのなかでも一番有名なのはメルボルンに比較的近いヤラバレーです。北東へ車を走らすこと1時間。郊外の住宅地を抜けると、きれいな山並みに囲まれたのどかな牧場になり、ゆるやかな斜面にブドウ畑が一面広がります。茶色ににごったヤラ川はここ上流でもにごっていますが、空気は澄んできりっとしています。40近いワイナリーがあり、幹線道路脇に次々とワイナリーの看板が現れてきます。どのワイナリーも独自のワインを誇っているので、行き当たりばったりどこのワイナリーへ寄っても十分楽しめます。ヤラバレーのパンフレットはたくさん出回っているので、一つ手に入れて出かければ、道に迷うこともなく、場所も分かりやすい所にあります。

ヤラバレーに初めてぶどうが植えられたのは、1838年のことです。10年後には商業用のぶどうが栽培されるようになりました。スイス移民はワイン造りに詳しく、ヤラバレーのワイン造りに大変貢献しました。1800年代後半には、ヤラバレーは上質のテーブルワインの産地として、有名になりました。1881年、メルボルンで行われた国際博覧会ではヤラバレーのワイナリーが賞をとったほどでした。しかし、こんなに盛んだったワイン造りも、第一次世界大戦後、たくさんの兵隊が戻ってきて、人々の好みが安いお酒に移ったため衰えていきました。当時ビクトリア州のほとんどのワイナリーでは接木をしていたため、根に付いてきた害虫にやられてしまったなか、接木をしなかったヤラバレーでは ぶどうの木が生き残っていました。それでも時代の流れには逆らえず、1921年に最後のワイナリーが閉じられました。

1960年代になってワイナリー再開の気運が高まり、20年かけてゆっくりとワイナリーは広まっていきました。ワインに適した地質と気候に恵まれたヤラバレーは、今では小規模ながら、限定された高品質のワインを生み出すワイナリーがたくさんあることで有名です。ピノ ノアール、シャードネー、マーロット、カベルネソーヴィニョンなどがヤラバレーのワインとして認められています。

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