この国の成り立ち (11)
―――ラム酒がお金替り―――
前田晶子
グロース少佐率いるニューサウスウエールズ軍は初めから存在していたわけではありません。フィリップと共にやってきた海兵隊員200名余りはこの植民地であまり幸せではありませんでした。ほとんどは本国イギリスへ帰りたがっていました。それでも50名はこの地に住み着くことを決め、それ以外の海兵隊員はイギリスへ帰ってしまいました。海兵隊員を補充するに当たって、政府はグロース少佐に命じて新たにニューサウスウエールズ軍を編成することにしました。本国で300名の兵を募ったグロース少佐は1789年ニューサウスウエールズへ向けて出航しました。
軍隊とはいうものの、元船員、元囚人も混じり、彼らの植民地での生活は楽なものではありませんでした。士官達は自分達の生活の向上ばかり気にかけ、しだいに本来の軍の仕事よりも、商売や政治に傾いていきました。特にグロースが総督代理になってからは、植民地のあらゆる方面に力を伸ばしていきました。グロースは武器はもちろん裁判所まで自分の手中に収め、部下の士官達には土地と囚人の労働力、農具から種まで与えました。さらに本国から着く船の物資の取引も許しました。
当時植民地には店もなく、お金もありませんでした。お金と言えば船が着いた時に持ち込まれるものだけでした。グロースはラム酒をお金として使うことを許しました。ラムで物を買い、給料もラムで支払われました。しかしラムをつくることは禁じられており、すべてのラムは本国から船で運ばれてきて、そのラムを買うことができたのは軍の士官達だけでした。こうして軍は植民地のすべてを支配するようになってしまいました。
軍の士官ばかりが裕福になっていく状況に、当然自由移民達からの不満が噴出します。彼らは高い値で品物を士官から買わなければならず、払えなければ土地を手放し、その土地は士官に渡ることになります。囚人は士官の農場で働くので一般人の農場は人手不足で開拓も遅れていました。
ただでさえ、囚人の植民地として低く見られていたニューサウスウエールズは、ラム酒を貨幣として使うことで、さらに評判を悪くしました。しかしながら、このような不公平がまかり通っていたにもかかわらず、植民地は着実に発展していきました。
・主な参考図書
Dreamtime
To Nation by Lawrence Eshuys Guest (
MacmillanAustralia)
Investigating Our Past by Sheena Coupe (Longman
Cheshire)
A Country Grows Up by J.J.Grady (Cassell Australia)
その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。
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