ケン・オハラはBourke Street の東側をQueen
Street に向かって歩きながら、不動産に$5million を投資して$10million
又は $15million を失うことがいかに容易に起こるか、思いをめぐらしている。
不良不動産を購入すると、投資した金額だけでなく、それ以上を失うことが多い。
490 Bourke
Street の例をみてみよう。
1990年の末、専門家はこの不動産に$20million の価値付けをした。3ヵ月後、$16.5millionでこの不動産は売却された。購入者はいいバーゲンだと思った。しかし、それは間違いであった。彼は1997年に$4.2milliom で手放してしまった。これもまた大きい間違いであった。次のオーナーは2002年に$10.28million で売却した。
もし不動産に$16.5million を支払うとしたら、たぶん$5million を払い、残りを借りることにするであろう。$5million を投資して、次の8年間、賃貸料でかろうじてローンをまかない、売却しても$5million を取り戻すことができないだけでなく、まだ$11.5million のローン返済義務が残っている。なんという痛手。これでは$10million
から$15million の損失だ。そして売却を急ぎすぎたために、さらなる$5million の損失ということにもなる。
Queen Street を渡ってElizabeth
Street のかどに向かって歩くと、納税者としてのケン・オハラは懐に痛みを感じる。
北西の角に the Pavilion retail building
がある。ここはかつては18階建のオフィスビルディングだった。1988年にPyramid
Building
Society と他の会社が$29millionで共同購入した。当時 Pyramid は不適格な開発業者に融資をすることで急速に事業を拡張していた。Pyramid はローンを組む時に高い手数料をとることによって多くの利益をあげた。1990年代に入り、不動産ブームのバブルがはじけた時期を同じくして、Pyramid の経営が口コミで人々に知れ渡った。預金者は引き出しに殺到し、取り付け騒ぎが起きた。騒ぎを鎮めるために、ビクトリア州の財務長官がテレビで、「Pyramid の預金者の預金は大丈夫なので安心してください」と宣言した。この一言により、その後まもなく破綻した Pyramid の投資預金者に対し、ビクトリア州政府は何億ドルもの補償をせざるをえなかった。それはビクトリア州住民の税金でまかなわれた。そのための特別税が設置され、その一部としてガソリンに特別課税がかけられ、それは数年間続きました。
Pyramid が投資したこのBourke
Street のオフィスビル購入も最悪のインベストメントであった。4者の共同購入者のうちの1者は、投資から手を引く為に4分の1に当たる$1.7million を支払わされた。
この不動産は1992年に$6.9million
で再び売買された。オフィスビルは解体され、現在のretail
building が1995年に完成した。2002年に$15million
で売却された。
しかしながらこのビルの反対側、Bourke and Elizabeth
Street の西南の角にあるビルディングはさらに強くビクトリア州の納税者の懐を直撃した。
385 Bourke Street
のこのビルは、1981年に建てられたかつての the State
Bank of Victoria の本店であった。
1980年代、State Bank of
Victoria はヴィクトリア州政府所管、州政府の援助で成り立っていた。この銀行は不動産業者への融資が最悪をきわめ、その損失は税金でおぎなわれたが、ヴィクトリア州の住民の負担は、子供を含む成年男女、一人あたり$500におよぶものとなった。1990年に入り、State
Bank of Victoria は消滅し、Commonwealth Bank の一部となった。
反対側の Bourke and Elizabeth Street の角は General Post
Office である。すべてのオーストラリアの国民はオーストラリア ポスト オフィスとともにこの建物のオーナーである。
よってケン・オハラもこの10年、オーストラリア・ポストが、この古めかしい愛すべき建物をいかに有効に取り扱うか、注目してきた。最初の改造プランはホテルだった。それが次にオフィスビルに変わり、2002年11月には小売店センターのプランが公表された。納税者の一人として、この建物が損失でなく利益をもたらしてくれるよう、望みたい。
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