この国の成り立ち (12)
―――ジョン マッカーサー(John Macarthur)<1>―――
前田晶子
オーストラリアの発展に貢献した人々の筆頭に挙げられるのは、羊産業を興したマッカーサーです。服地商の息子として生まれたジョン マッカーサーは15歳でイギリス陸軍に入りました。グロース少佐のニューサウスウエールズ軍で中尉の職を得た彼は、第2回目の船団で1789年ニューサウスウエールズへやって来ました。結婚したばかりで、奥さんのエリザベスと小さい男の子も連れての航海でした。家族思いの実直な人で仕事面でも有能でしたが、反面激しい気性の持ち主でもありました。
マッカーサーはフィリップ総督とは肌が合わず、逆らってばかりいましたが、グロース少佐の下でめきめき頭角を現し、経理全般を受け持つ主計中尉となりました。フィリップが去り、グロースが総督代理となると、グロースはマッカーサーに土地と家畜を与えました。これを元に彼は牧場を開き、奥さんの名前をとりエリザベスと名づけました。軍の士官としてあらゆる面で優遇されたマッカーサーは、囚人を使って土地を開墾し、瞬く間に裕福になり、同時に権力も手に入れました。1795年には大尉に昇格しました。
富と権力を得たマッカーサーは、牧場経営に大変熱心で、囚人にとっても良心的な雇い主でした。エリザベス牧場は植民地での優秀なモデル牧場となっていきました。1794年マッカーサーは羊を買い付け、質のよい羊毛を産出する品種改良に励みました。1796年には南アフリカから純血のスパニッシュ・メリノを買い、交配を重ねました。彼の努力は意外な所で花を開くことになります。
イギリス政府はラム酒と軍の増長で乱れたニューサウスウエールズを正そうと、次々と総督を取り替えますが、力をつけすぎた軍にはかないません。特にマッカーサーの存在は大きなものでした。かれは歴代の総督に反抗し、総督側についた軍の総指揮官とついに決闘する羽目になり相手を傷つけてしまいます。1801年取り調べのためにイギリスへ送られるマッカーサーはエリザベス牧場で開発した羊とメリノ羊毛をしっかりと携えていきました。
このマッカーサーのイギリス行きは、後のオーストラリアの羊毛産業の将来を決定付ける重要な出来事でした。当時のイギリス産業界は生産を拡大するために、政府に働きかけていました。今まで羊毛を買い付けていたスペインからは、イギリスの要求にあう羊毛はもう期待できなくなっていました。マッカーサーの持ってきた羊毛の質の良さにびっくりした業界の人々は、ニューサウスウエールズが高品質の羊毛を供給できるかもしれないと小躍りして喜びました。そして、彼らの政府への影響力を最大限に使って、惜しみない手助けを約束して、マッカーサーを激励したのでした。
マッカーサーは、「5000エーカー(約2000町)の土地と30人の囚人を彼に与える」という総督宛ての公文書を引っさげて、オーストラリアへ帰って来ました。新品種の羊が育った時にはさらに5000エーカーの土地がもらえることになっていました。こうして広大な土地と労働力を手に入れたマッカーサーは羊の品種改良に没頭していきました。
・主な参考図書
Dreamtime
To Nation by Lawrence Eshuys Guest (
MacmillanAustralia)
Investigating Our Past by Sheena Coupe (Longman
Cheshire)
A Country Grows Up by J.J.Grady (Cassell Australia)
その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。
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