MELBOURNE Street by Street (13) |
Bourke Street ― その 6 ― Coles and Bond |
ケン・オハラ |
20世紀の初頭、メルボルンで小売店を開業し、それを大規模に発展させることは可能だった。Bourke Street に沿って歩きSwanston Street を横切ると、オーストラリアで指折りの大商家の推移を思い起こす。信頼の厚い紳士もいれば、詐欺師同然の悪辣な輩もいる。先月号では Myer 家の推移をたどってみたが、今月は同じく大規模な小売業者 The five Coles brothers にふれたい。 George J Coles は1914年にnothing over a shilling ( 1966年にオーストラリア通貨が10進法に切り換わり、 1shilling は10 cents になった。)という店をCollingwood に開店した。以来、G J Coles & Co は50年以上、Myer, Woolworths(シドニーがベース)よりも大きいオーストラリア最大の小売販売会社となった。5人の Coles 兄弟は実業界の中心的なリーダーであっただけでなく、コミュニティサービスなどにも大いに貢献した。5人兄弟の全員が1957年から1979年の間にサー(爵位)の称号を与えられている。一番下の Sir Norman Coles は1979年に事業から引退した。 先月号で言及したように、Coles と Myer は1985年に合併し、現在も Woolworths をしのぐオーストラリア最大の小売販売会社となっている。しかしこの時点で、Coles 一族も Myer 一族もビジネスからは手を引いている。(Woolworth はアメリカの商業名をコピーしたもので、Woolworth family というのはシドニーには存在しない。) Bourke Street にある スーパー Target は1994年まで40年以上 Coles 系であったが、現在は Coles Myer が運営している。 さて、ほぼ隣にあるのが Village Centre cinemas だ。ここはシドニーがベースの Waltons (これも一族の家名)が35年前に、メルボルンに支店の拡張を試み、失敗に終わった場所である。場所が Bourke Street の上のはずれにあったため、と当時の人たちは言っていた。しかし、Waltons は1981年にもっと大きな問題に直面した。Alan Bond が株を買い占めビジネスに介入してきたためである。 Alan Bond は当時オーストラリアで最も有名なビジネスマンであった。彼は狙った会社の株を買占め、乗っ取り、転売して何億何兆という金を儲けていた。世界のヨットレース 、アメリカンカップの優勝杯をオーストラリアにもたらした立役者でもあり、華やかな脚光を浴びていた。将来、彼が刑務所生活を送ることになろうとは、この頃誰も予想しなかった。Alan Bond は話術に長けたことでも定評がある。この頃の彼を形容したジョークを一つ紹介しよう。「Alan Bond に会うときは、手を石膏で固めて行った方がいい。そうすればどんなに話が進展しても、サインだけはしないで済む」、というものである。 Alan Bond は$30,000,000 で シドニーのWaltons を買収した。隣の建物も買収し、ここに100階建てのビルを建設する計画だったが、実現しなかった。 熊谷組とそごうデパートがこの場所のために Alan Bond に支払ったのは$287,500,000であった。熊谷組とそごうは、ここに日本のデパートも入る大規模な開発計画を立てていた。しかし、計画は進まなかった。不動産ブームが終わりを告げていた。 同時に彼らの計画も立ち消えた。熊谷組とそごうがしたことは、この地に巨大な基礎工事の穴を残したことだった。その穴の規模はあまりに大きいので有名になり、観光客が覗きに行くほどであった。 1990年から1998年の間にシドニーを訪れた人の中には、Town Hall, Queen Victoria Building, Town Hall Station に囲まれた場所にあった大きな穴を覚えている人が多いことだろう。(2000年に Citigroup Centre が完成して穴は埋められた。) シドニーに基礎工事の穴を残したのは熊谷組とそごうだけではない。1980年代の不動産ブームは、市内の数箇所に大きな穴を残した。1990年代にシドニーのモノレールに乗ると、それらの穴がそこ、此処に見え、まるで経済破綻の爪あとのツアーのようであった。 シドニーオリンピック開催にあたり、市当局はこれらの放置された基礎工事の穴を、高い塀または仮の即席店舗で隠すように促した。これらのうちのいくつかの穴は新しいビル建設で埋められたが、まだいくつかはそのまま残っている。 ケン・オハラはメルボルンの街を歩いている時の方が安心できる。1980年代の不動産ブームは、メルボルンにもいくつかの空き地をこしらえたが、シドニーのように爆弾が落ちた後のような穴が10年も放置されているような場所はないからである。
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