ドリームタイム(16)
アボリジニーは自然の保護者 Valeria Nemes 訳 前田晶子 近代社会は長い間かかって、自然と調和して生きることを学んできました。私達は必要以上に自然を開発することは許されませんし、自然に何かしらお返しをしなければいけない立場にあります。自然を尊重し守らなければいけません。世界各地の原住民は、自分達を取り巻く自然、動物や植物や山や川を含めて、全ての物に感謝の念を抱いて生きてきました。 オーストラリアのアボリジニーは、部族ごとに分かれて決まった地域を動き回って暮らしていました。彼らは、自分達を周りの自然物の一部と見なし、切り離せないほど密着していると考えていました。ですから、彼らの地域に入ってきた侵入者に対しては激しく拒絶反応を起こし、襲いかかりました。逃げ切れなかった侵入者は殺されてしまいました。 特別な場所や動物に属しているという強い感覚と一体となって、彼らは自然に対して強い責任感を持っています。彼らは自然によって守られていると思う一方、自分達は自然の保護者でもあると思っているのです。 ダーウインの南東250kmにあるカカドゥ地区の長老であったビル・ナジの言葉を借りるとこうなります。「我々は土地だ。それを我々は祖先から受け継いできた。我々は土地を守らなければならない。」彼は最近亡くなりましたが、調査に来ていた人類学者に言った言葉です。 ドリームタイムのお話の中には、土地を尊重する方法や決まりについて、そして、もし人々がこの決まりを破った時の罰について述べているものがあります。しかし、ほとんどのお話は、わずかな人しか知らなかったり、選ばれた特別な人しか教えてもらえなかったので、アボリジニーがどのように自然と一体になっていたか、具体的には分かりません。残念ながら、私達には学ぶ術がありません。 アボリジニーのある行動を見ると、たとえば、草地にわざと火をつけるなど、自然の保護者としての役目に反するように見える時があります。もっと危険な大規模なブッシュファイヤー(山火事)を防ぐためには、多少の犠牲はやむおえないと考えてのことです。彼らは、動物はこのような火からは逃げることができるし、植物も又必ず芽を出してきて前よりも勢いよく育つことを知っています。 アボリジニーは又こういうこともします。道具やカヌーを作るために、ある木の皮をはいでしまいます。木はしばらくすると枯れてしまいます。しかし、アボリジニーは長い目で見れば、削られた木は死んでも、新しい木が又育ってきて、自然のバランスはくずれることはないと知っています。 次に挙げるお話は、動物と地形の関連をよく表わしています。 カンガルーとユーロとフロム湖 昔、世界は平らでした。カンガルーのウルディウとユーロのマンデイヤは同じ所に住んで、同じ食べ物を食べていました。ある日、2匹は別々の所で食べ物を探して穴を掘っていました。カンガルーはたくさん見つけましたが、ユーロは少ししか見つけられませんでした。カンガルーは肥ってきて、ユーロはやせてきました。ユーロはとうとう友達のカンガルーに食べ物が欲しいと頼みました。カンガルーはほんの少しあげましたが、どこで探したか教えませんでした。
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