インタビュー (22) ピーナ デル ポポロ (PINA DEL POPOLO) |
この欄では、有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。 今月の「この人」は、思春期の時イタリアから移民でやってきて、働きながら英語を身につけ明るく暮らしているピーナさんにお話を聞きました。 |
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オーストラリアへ渡ってきたのは、何歳の時ですか。 14歳の誕生日に船で着きました。1961年でした。26日かかって、その間ずっと船酔いしていました。両親と4歳年上の兄と4人で来ましたけれど、ほんとは私は9人兄弟の末っ子です。すぐ上の兄は生まれた時に亡くなったので実際は8人です。一番上の兄とは21歳離れていましたから、物心ついた頃には、上の兄弟達は家を出ていました。 *ご両親はどうしてオーストラリアへ来ることにしたのですか。 *
それでピーナさんはすぐ働き出したわけですね。 * どんな仕事をしたのですか。 |
*次はどういう仕事でしたか。 |
スーパーマーケットで働きました。若い女の子を募集してたので。レジをやったり、棚に品物を並べたり。働き出してすぐの頃、棚に並べていたら、物を置き損なって落としてしまったんですが、もう少しでつま先に当たりそうだったのでびっくりして、「足の指にぶつかりそうだった。」と言ったんです、そうしたら、傍にいた意地の悪いマネージャーが「ほー、あんたが足に指を持ってるなんて知らなかったね。」と言いました。私は足は指と言わないのかと思い、こうして toe と言う言葉を覚えました。私は英語をたくさんの失敗や間違いを通して、それと人の反応から少しずつ習っていきました。ある時こんなこともありました。お客さんが、ビールか何か私の知らない飲み物の名前を言ったのですが、分からないので、マネジャーを見たら、倉庫に行って窓側の棚のなんとかかんとかにあると言いました。分からないながらも、行って見ましたが、分かるわけありません。私どうしたかというと、トイレに入って、30分座ってました。出てきたらマネージャーが「お客さんはどうした?」と聞きました。私は「他の人が相手したんじゃないですか。」ととぼけてしまいました。 |
* ピーナさんは冗談もよく言われるし、人との会話も上手で、発音もきれいだし、何の不自由も無いように見えますが。 |
そうね、人の中に入って働きながら時間をかけておぼえた英語だから。今では、人の言うことは全部分かりますし、自分のことも不自由なく話せますね。話す、聞く、読むは全く問題ないのですが、書くのが一番苦手です。でも最近は息子からコンピューターを習って、インターネットや e-mail もするようになりました。インターネットで冗談も見つけて楽しんでます。でも今でも人前で英語を書くのは、気後れがします。スーパーマーケットの仕事を長くやってましたが、最後にはマネージャーも任されてするようになりました。上の人が、ピーナあなたならできる、よく見て考えて真似すればいいんだからと励ましてくれました。 |
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いつも働いてこられたわけですか。 1970年に結婚して、イタリアに里帰りした時ちょっと休んで、又働いていたのですが、75年に妊娠したので止めました。12年間子育てに専念してから、又働きだしました。主人は自営業のペンキ屋ですが、やはり家計を助けたいので。主人ばかり働かせてはかわいそうですからね。94年まで働いてたかしら。ひざを痛めたのをきっかけに止めました。 |
*子供の頃のイタリアのお話を聞かせてもらえますか。 私大勢の兄弟の末っ子でしょう。学校へ行き始めると、友達のお母さんが母よりずっと若いんです。不思議に思って、ある日聞きました。「ねーお母さん。分からないことあるんだけど。」 母は「どうしたの、言ってごらん。」と言いまいた。「どうして他のお母さん達は若いの?」すると母は「みんなのお母さんはあなたの姉さんくらいの年だからね。」と言いました。そうかと私は子供なりに納得しましたけれどね。母は付け加えてこう言いました。「でもあなたを愛してるわよ。」 私の家は元はシチリア島出身です。でもマフィアではないですよ。かんきつ類がたくさん採れるの。ところで、オレンジのサラダを教えてあげますね。オレンジをきれいにむいて実だけにします。塩を一つまみかけてオリーブオイルをかけて、砕いた乾燥チリをかけるだけの簡単なサラダです。とてもおいしいから試してごらんなさい。 *ピーナさんはお料理も上手ですが、お母さんから教わりましたか。 |
*仕事を止められてからは、どう過ごされていますか。 お話したように、イタリアで学校に行っていただけなので、ちゃんと勉強したいと思い、コミュニティーの大人の英語のクラスに入りました。いろいろな国の人といっしょで楽しかったですよ。3年くらい通いました。今はパッチワークの習い事、老人ホームを訪ねたりしています。そうそう、オーストラリアに来た当座、兄の勧めで英語のナイトスクールに一時通ったことがあります。兄が「勉強はどうだい。」と聞いてきて、「先生の名前は何というの。」と聞いたので、私は「ティーチャー。」と答えました。兄は笑って、「違うよ、先生の名前だよ。」と言いましたが、私は「だからティーチャー。」といい続けました。どうしてって、先生があなたはピーナ、私はティーチャーと言ったからです。イタリアの女の人の名前のニックネームでティーチャーというのがあるので、私はそれだと思ったのですが、今だにどっちなのかわかりません。 |
*今日はお出かけ前に、時間をさいてくださって、ありがとうございました。
インタビュー 前田晶子 (c) Yukari Shuppan |