MELBOURNE Street by Street (22) La Trobe Street ― その 3 ― ケン・オハラ ケン・オハラの祖祖父がまだ小さな子供だった1870年代の頃、Walter Coop はメルボルンで一番高い建物を建設した。Swanston Street のそばにある shot tower である。 ケン・オハラがまだ小さな子供だった1950年代の頃も、まだメルボルンで一番高い建物はshot tower だった。 現在、La Trobe Street を歩いてみて、メルボルン・セントラルのガラスの屋根の下に保護されている shot tower はなんとこじんまりとみえることだろう。 この塔は鉛の弾丸を作るために建てられた。溶かした鉛を塔のてっぺんから落下させる。地上に蓄えられた水に落下した鉛は散りじりになって直系2mmほどの小さな弾丸となる。 Walter Coop,s shot tower は1870年から1960年の90年間、弾丸の製造を続けた。弾丸はピストルの弾に使われた。 Shot tower のあたりにはコアラやクッカバラなどのぬいぐるみを売っている土産店がある。観光客たちのなかで、ぬいぐるみを買う時、そこからほんの数メートル離れた場所で作られた弾丸が、これまでにかぞえきれないほど無数の鳥や動物たちの命を奪ってきたことに気づく人がいるだろうか? さて、メルボルンセントラルに話を戻そう。メルボルンセントラルが、何故メルボルンで一番高い建物ではないのか、と思う人がいることだろう。 1980年代の初め、ビクトリア政府はこの場所を開発するにあたり、企画デザインを募集した。 熊谷組とそのパートナーとなったオーストラリアの会社が84階建て高層ビルをデザイン、他の55階建てのデザインを押さえて優勝した。 しかし2年後にはシティビルディングの余剰の影がさしはじめていた。ディベロッパーは手を引くことを望んだ。しかしビクトリア政府は、なんとかそれをおさえてプロジェクトを完成させることに成功した。ただし熊谷組の方でも、84階から55階に縮小して経済的負担を少なくすることを、ビクトリア政府に了承させた。というわけで、メルボルンセントラルは、メルボルンで一番高い建物にはならなかったのである。 1990年の後半、Bruno Grollo が113階建ての世界で最高のビルをメルボルンに建てる企画を申請した。 Bruno Grollo はスーパーマリオそっくりの人物である。そのためかどうか、ビクトリア州政府は Bruno Grollo の申請に許可を出した。 しかしこの企画は経済的な理由で消滅してしまった。 現在、 Grollo 家一族の会社は、息子の Daniel に引き継がれ、世界で一番高い高層アパートメントを建設中である。 川を渡ったメルボルンの中央ビジネス街の向かい側、Southbank にある Eureka Tower がそれである。 300メートルでエッフェル塔と同じ高さになるはずである。 彼らは高さを競っているが、ケン・オハラには独自の案がある。それはメルボルンの中央ビジネス街で最小の建物は、というものである。サイズは不動産のメインビルの大きさでなければならない。(外のトイレや犬小屋は例外とする。) ケン・オハラが思うには、メルボルンの CBD (central business district 中央ビジネス街)で一番小さい建物は、28 Crossley Street にある electricity substation だ。それはBourke Street と Little Bourke Street の間の Exhibition Street の東、Malaya restaurant の隣にある。 この electricity substation は1階建て92平方メートルである。もしあなたがこれよりも小さい建物をご存知だったら、ぜひケン・オハラに知らせて欲しい。Grollo 一族に伝える必要はありません。
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