MELBOURNE Street by Street (27) Flinders Street ― その 2 ― ケン・オハラ 1990年代においてメルボルンの不動産業者が利益を上げる手っ取り早い方法は、シティの住宅開発であった。 しかし、いつの時代でもパイオニアは苦労をする。最初にレジデンシャル・オフィスビルを手がけた会社は、破綻にみまわれた。 Flinders Street の西側を歩いていくと 1 Exhibition Street に出る。このビルのオーナーは1992年にオフィスビルから、レジデンシャルアパートメントへの改築を始めたが、途中で資金が尽きてしまった。融資をしたMacquarie Bank は不動産を抵当に取り、ビルを完成させ、利益をあげた。 しかし Flinders Street をもう少し先に歩いていくと、銀行といえども時々は損をする、という例をみることができる。そして高層レジデンシャルビルの建設は利益になるはずであるが、ここに高層建築をたてるぞ、と公表することが利益をもたらす場合もある。 新しい高層アパートメント88 Flinders Street (2001年完成)の前を通り過ぎると、少し先に 104-112 のビルがある。この建物は何の変哲もない平凡なビルだが、面白い過去がある。 この建物は Dunlop Rubber が70年間所有していた。 Dunlop は1979年にこの不動産を、後に Bank of Melbourne となったビルディング・ソサイエティに $1,430,000 で売却した。銀行は1980年代の不動産ブームのピーク、1988年にこれを売却することにした。良い判断であった。 ビルはオークションにかけられ $8,400,000 で売却された。購入者は頭金を払い、1992年に最終支払いがされる契約であった。しかし、購入者は途中で支払い不能となった。ビルはまた銀行のものとなった。 1993年、メルボルン、マレーシア、シンガポールグループの中国系投資家が、 $1,350,000 でこのビルを購入した。そしてここに33階建てのレジデンシャル・アパートメントを建設すると公表した。 Commonwealth Funds Management は、これを聞いて心配した。CFM はメルボルンでの主要なビルの一つである101 Collins のビルのオーナーである。Flinders Street の 104-112 に33階建てのビルを建てられたのでは、101 Collins Street からの眺めがさえぎられ、ビルの値打ちも下がってしまう。1996年CFM は中国系投資家に $5,500,000 を払って眺めを維持する為にこのビルを買い取った。 中国人の投資家グループは、本当に、ここに高層建築を建てるつもりだったのかどうか、ケン・オハラは今でも疑問に感じている。 よき眺めは、高価に値する。CFM(オーストラリア政府職員の年金預金の管理もする)は、このブロックにある他の不動産も購入した。 1998年、$9,500,000を支払ってExhibition Street と Flinders Lane の角にある駐車場を手に入れた。ここは マレーシアがバックの会社 Kemayan Hotels が29階建てのビル建設の許可を得ていた所である。CFM はすでに 114-128 Flinders Street の駐車場を所有している。だが、CFM は後日、眺めよりはカネの方が大切だと判断したらしい。 2002年にCFM は、104-112 Flinders Street を$4,300,000でかつての中国系投資家に譲り渡した。 次回、この投資家がここに高層建築の建設を公表したら、どうなるか、ケン・オハラは非常に興味を持っている。 後、CFM は Flinders Street と Exhibition Street の 角の駐車場を売却しようとしたが、買い手がなかなか現れない。そこで、自ら眺めをさえぎるビル建築に着手した。しかし高さは13階だ。 CFM は2002年に114-128 の駐車場も売却した。値段は$4,350,000であった。 こういう大きな数字につきあっていると、喉が渇いてくる。いくつかの小さなビルがアパートメントに改築された前を通リ過ぎて、Russell Street の角まで行ってみよう。角にあるDuke of Wellington Hotel でビールが飲める。 Duke of Wellington (彼は当時、鉄人 Duke と呼ばれていた。「料理の鉄人」の200年前のことである。)は、英国最高の将軍とみなされている。 彼が1815年に Waterloo でナポレオンの軍隊を打ち破った時、後のオーストラリアのホテル産業(宿泊するホテルではなく、パブ、日本でのビヤホールに当たる)に及ぼす影響については知る由もなかったろう。 いまだにオーストラリアの随所には、Duke of Wellington という名のつくホテル(パブ)がたくさんある。常連は短くしてthe Wello と呼んでいる。 135年前、メルボルン市中には251軒のホテル(パブ)があった。Bourke Street の Swanston と Russell Street の間の一画だけでも12もあったのである。 251のうち13軒は、現在でも同じ名前で営業している。 Duke of Wellington はそのうちの一つで、メルボルンでは一番古いパブである。 1853年来の営業で、ビールの味の良さは今でも変わらない。 たぶん、メルボルン市内のレジデンシャル アパートメントの開発は、まだ利益になっているのだろう。不動産をレジデンシャル ディベロッパーに売るのは、間違いなく利益になっている。 The Duke of Wellington は1995年に$1,450,000で売却され、2003年に、$4,525,000で、レジデンシャル ディベロッパーに売却された。 現在では、このホテルの裏の部分を取り壊し、8戸のアパートメントを建てる計画がある。これを知ったら、ナポレオンはきっと喜ぶに違いない。
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