この国の成り立ち (28)
ゴールドラッシュ 4
前田晶子
ゴールドラッシュがオーストラリアに与えた影響は、計り知れないものがあります。人口が増えたことは、社会全体を活性化させ、植民地としてばらばらだった各地区が一つにまとまっていきました。
当初は金の発見の発表を渋った政府でした。心配したとおり、牧場や農家は男手をうばわれ、生産量は落ちました。その結果、物価は高くなりました。労働人口が減った町では役所の仕事もままならず、建設現場や道路工事では人手不足で仕事は進みません。しかし、この状態も長くは続きませんでした。ゴールドラッシュで豊かになれる人はごくわずかで、ほとんどの人は、金をあきらめて町に戻ってきました。土地を買って農業を始める人、大きくなった金鉱の町で仕事を見つける人もいました。町では人が増えたので住宅が必要になり、建設業がさかんになりました。労働人口が増えたので、物は生産されるようになり、経済は活発になりました。オーストラリア全体で人口は3倍に、そして最もゴールドラッシュが盛んだったビクトリアでは6倍になりました。
人の移動も盛んになり、金鉱と町を結ぶ道路が整備され、交通手段も発達しました。有名なバス会社、コブ アンド コ(Cobb
and Co.)もゴールドラッシュの時代に辻馬車として発達したものです。農業も一時の人手不足を補うために機械を取り入れたので効率的になりました。羊毛産業も牧童が足りないので、柵の中で羊を飼うようになり、結果として、繁殖をコントロール出来るようになって、安くて質のよい羊毛を生産するようになりました。
イギリス政府は、ゴールドラッシュをきっかけに発展して、力をつけてきたビクトリア、ニューサウスウェールズ、南オーストラリア、タスマニアの各植民地に自治を認めました。そしてバララットのユーレカ革命にみられたように、一般民衆の要求を受け入れる基盤も整い、21歳以上の男子には選挙権が認められました。労働者、特に建設ブームで働く石工夫が運動を起こし、ビクトリアでは世界に先駆けて8時間労働を勝ち取りました。職業別労働組合が次々とでき、雇い主に給料の値上げと労働条件の改善を要求するようになりました。
こうしてゴールドラッシュは、各方面に影響を与え、オーストラリアは単なるイギリスの植民地ではなく、一つの国としての実力と体制を整えていきました。人々の間にもゴールドラッシュの期間に、いわゆるメイトシップ(mateship)と呼ばれる上下関係のない仲間意識が芽生えていきました。
・主な参考図書
Dreamtime To Nation by Lawrence
Eshuys Guest (
MacmillanAustralia)
Investigating Our
Past by Sheena Coupe (Longman
Cheshire)
A Country Grows Up by J.J.Grady (Cassell
Australia)
その他の参考資料は連載の最後にまとめて表示します。
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