MELBOURNE Street by Street (38) King Street ― その 1 ― ケン・オハラ これまでメルボルン市中の東西の主な道路を歩いてきたので、これからは南北に歩いてみることにしよう。 先月、ケン・オハラはシティの南西の角にいた。今月は King Street の南端から始めることにしよう。もしあなたが夜中に Flinders Street から King Street 向かって歩いて行ったとしたら、ある種の社会勉強になることだろう。しかし私たちは昼間に歩くことにしよう。この辺りは地質学の勉強もできるのである。 地質学者は渓谷を歩いて「これは2億年たっている玄武岩です。これは砂岩です。」というであろう。 ケン・オハラは街のビルの谷間を歩いて、「これは130年前に敷石に使用された玄武岩。これは90年前に使われた砂岩。こちらは赤レンガで40年前に使用されました。こちらは20年前に使用されたスチールガラスです。」と説明することになる。 玄武岩は溶岩の一種である。溶岩の中には軽石の様に穴がたくさんあって軽いのもあるが、玄武岩は非常に重い溶岩である。メルボルン市が形づくられた初期において、建物や敷石にもっぱら使われたのが、この玄武岩であった。英語では basalt、オーストラリアでは blue stone ブルーストーンといわれている岩石である。 ブルーストーンは鋼鉄のように重く丈夫である。メルボルン市内はもとより周辺の郊外でも、レーンと呼ばれる道は、みなこのブルーストーンでつくられた。100年以上の交通により、敷石の位置が少々づれたりゆがみが出たりしているかもしれないが、傷んだ様子はまったくない。 King Street の最初のブロックで、道に沿って東側にあるナイトクラブの多くは、19世紀にブルーストーンで建てられた倉庫を改造したものである。昔この辺りは船荷の積み下ろし施設と倉庫がある一帯であった。 これらの建物が130年、140年も残存されている理由を、経済学者は、この辺りは改築に値する経済的理由がこれまで生じなかったため、というであろう。ケン・オハラの意見は、ブルーストーンの建物は頑丈すぎて壊すのが大変だから、というものである。 約90年前に The Melbourne Steamship Company は、27-31 King Street に新しいオフィスを建てることにした。この頃、ブルーストーンは流行遅れになってしまっていた。しかし他の建材サンドストーンは値が張りすぎた。それでレンガを使用し、正面入り口はレンガの表面をセメントで固めて、サンドストーンのイミテーションにした。そしてその部分に海の女神、海王、貝殻の中のビーナスなど、海洋をモチーフにしたデコレーションをつけた。 メルボルンの人たちはいまだにこのビルを the Steamship と呼んでいる。このビルは1980年代から1990年代の長期間空き屋になっていた。サバイバルできたのは運が良かっただけであろう。 隣の Flinders Lane との角にある 33-35 King Street、この2階建ての建物はStokes and Co. という船会社のもので、30年前に建設された。 もしこのビルがこれから先、歴史的な価値が出るほど長くサバイバルしたとしたら、それは何かの間違いだ、とケン・オハラは思う。 Copyright: Ken O'Hara
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