Queen Street ― その 1 ― ケン・オハラ オーストラリアには Queen Victoria にちなんで付けられた名前がたくさんある。Victoria 州もその一つだ。オーストラリアの開拓が始まった頃に、イギリスの女王だったからである。 Melway street directory をみてみると165もの Victoria street, road, avenue, etc がある。Queen Victoria の夫だった Albert もメルボルン市ができ、道がつくられていた頃に人気があったので、99の Albert street, road, etc がある。 あなたが車を運転していて Victoria Street が見えてきたら、次は Albert Street である。(もちろん、反対方向から運転してきたらその逆・・・・しつこいぞ、ケン・オハラ) では、シティにある Queen Street だが、これも当然 Queen Victoria にちなんでいると思いがちだが、こちらは Queen Elizabeth にちなんで名付けられている。シティの西半分の道の名前は、Spencer Street から始まって、King William, Queen Elizabeth とそらんじると覚えやすい。 ケン・オハラは、メルボルンでは小さな建物ほど興味をひくものがある、と常々思っているが、Queen Street を歩いていると、ある大きなビルディングに目を引かれる。 Little Bourke Street との角にある Medina Grand Hotel がそれだ。現在ではこのホテルの11階で起きた過去の出来事を知らずに、そこに泊まっている人がほとんどだろう。このビルが Telstra のオフィスとして使われていた1987年、Frank Vitkovic は自動ライフルを抱えて11階のオフィスに入り、8人を射殺。その他にも大勢に重傷を負わせ、11階の窓から飛び降り自殺をした。Frank Vitkovic は22歳であった。その後、10年間このビルディングは空き家になっていた。 さて、それからさらに80年ほどさかのぼった1904年のこと。William John Smith がガラスビンの製造工場のマネージャーに抜擢されたのは、22歳の時であった。後、彼はオーストラリアで最も有能、かつ成功したビジネスマンの一人となった。彼は Australian Glass Manufacturers (AGM) を設立し、この会社はオーストラリアの大会社の一つとなった。Australian Consolidated Industries (ACI) はさらに大きな会社となり AGM を合併した。William Smith は ACI のマネージングディレクターとなり、長期にわたりこの会社を運営し、1957年に引退した。 William Smith はビジネスの凄腕としても知られていた。現在 William John Smith の名前を覚えている人はあまり多くはないだろう。しかし彼のあだ名 Gunboat Smith (砲艦スミス)を覚えている人はかなりいるだろう。 Medina Hotel の斜め向かいにある30階建てのビル 200 Queen Street は、1982年にイギリスの開発会社が建設した。当時は ACI House として知られていた。このビルは1986年に $68,5million でトレードされた。 その後 ACI は、あたかもメルボルンの不動産の価値が1990年代に沈み込んで行った様に、沈んで行った。200 Queen Street は1998年に $39.5million でトレードされた。 購入者はパースの Ralph Sarich と彼の一族が運営する投資会社であった。彼はこのビルを2003年に $78million で売却した。 Ralph Sarich は30年前にロータリーカーエンジンを開発した。彼の会社は株式市場に起債され、 BHP がバックアップした。しかしロータリーエンジンはいまだに、車には使われていない。しかし、Ralph Sarich はこの時、オーストラリアで有数な不動産投資家となるに十分な資金を得たのであった。 copyright Ken O'hara
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