MELBOURNE Street by Street (53) Elizabeth Street ― その 3 ― ケン・オハラ Elizabeth Street を Bourke Street の角に向かって歩いていくと、沈滞、破滅、経営破綻といった言葉が浮かんでくる。それはシドニーのオペラハウスのそばにまでつながっている。 北西の角にあるパビリオンを例にとろう。 経済面においても同様のつむじまがりな過去がある。普通、都市の不動産の部分購入、部分所有にはそれなりの利点があって、人はそのために共同購入の株を買ったりする。 しかし、1988年に、ここにあった16階のビルは最悪の投資だったため、そのうちの何人かの投資家は、手を引くために何ミリオンも払うはめになった。(ローンの負債から抜けでるため) この16階のビルは1988年には$29ミリオンであった。しかし不動産の値段は当時のブームの終わりに下落した。1990年にあるオーナーが$1.75ミリオンを払って手を引いた後、残された株主 Pyramid Building Society が破綻した。ビルは1992年に$6.4ミリオンで売却された。 Pyramid Building Society が破綻した際、ケン・オハラを含むビクトリア州の納税者の貴重な税金がそのために使われた。その原因となったいきさつは、破綻する以前の1990年2月に、ビクトリア州政府の財務官が「Pyramid Building Society の預金者は保障されています。」と公言したためであった。その数ヶ月後に、Pyramid Building Society が破綻したため、ビクトリア州政府は預金者に補償をせざるを得なくなり、何ミリオンと言う金がビクトリア州の納税者の負担となったのである。 Elizabeth Street と Bourke Street の南西の角にある London Stores が以前に店じまいをした時には、ケン・オハラの懐には影響がなかった。 しかし1990年に我が州の銀行 the State Bank of Victoria が破綻し、the Commonwealth Bank にただ同然で合併されてしまった時には、またもや納税者の負担となり、ケン・オハラもその一部を負担させられた。 このひどい一件は、the State Bank of Victoria が1983年に建設したElizabeth Street と Bourke Street の角にある41階のビルを見るたびに思い出す。 さらに南に向かって歩いていき、Little Collins Street を渡ると、もっとひどい破綻例を見ることができる。南西の角にある343 Equitable Houseは、1983年に$8.4ミリオンで売却された。 1989年に Colonial Mutual Insurance は、それを$29ミリオンで購入した。払いすぎである。 Colonial Mutual Insurance は Collins, Elizabeth, Little Collins Street の一画に大オフィスビルを建設する計画だった。Colonial Mutual Insurance はすでに Collins, Elizabeth Street の角にオフィスビルを持っていたが、そのために辺りのビルを購入した。しかしこれらのビルも高すぎ、払いすぎであった。計画は頓挫し、2000年に Colonial Mutual Insurance は the Commonwealth Bank に合併された。そしてこの一画は2001年に$60ミリオンで売却された。 シドニーでは、Colonial Mutual Insurance は、サーキュラーキーの東側、シドニーオペラハウスに向かう一帯を一大開発する計画で、1988年から1989年にかけて$283ミリオンで購入した。しかし、あまりにも高すぎる投資であった。初めの計画の代わりに建てられた2つの大きなアパートメントは、「巨大トースター」とあだ名され、シドニーの住民に忌み嫌われる建物となった。 Copyright: Ken O'Hara |