MELBOURNE Street by Street (57) Swanston Street -2 ケン・オハラ オーストラリア人なら誰でも Buckley's chance の意味を知っている。Buckley's chance とはチャンスが無い、見込みが無い、可能性がない、ということだ。Buckley's chance of success とは成功の可能性がない、失敗する、という意味である。はっきりとした語源は定かではないが、ケン・オハラが思うに、この言葉はメルボルンのデパートメントストアに当てはまるのではないだろうか。 メルボルンのデパートメントストアの歴史は失敗の歴史でもある。Swanston Street の北側の歩道と Bourke Street の角に立ってみよう。そこから見えるだけでも6件の例をあげることができる。
Alan Bond といえば、良きにつけ悪しきにつけ、かつてはオーストラリアでその名を知らない人はいないほど有名なビジネスマンであった。世界のトップヨットレース、アメリカンズ・カップでオーストラリアの優勝に貢献した人物としても知られているが、その後、ビジネス面では監獄生活も体験して、ビジネスマンとしては失敗の方が知られている。 Alan Bond は Waltons のシドニーの親会社が所有する不動産を開発して価値を上げるために、メルボルンの Waltons をテイクオーバーし、利益をそれに当てる胸算用だった。しかしタイミングが悪かった。 Alan Bond の Waltons テイクオーバーの影響は、シドニーのタウンホールのそばの建設現場に、基礎工事が始まったところで中止された巨大な穴が、10年間も放置される結果となった。(現在は Citigroup building が建っている。) この一件による Alan Bond と当時の日本のパートナー、そごうデパートと熊谷組の損失は何ミリオンにも達した。 Bourke Street の Melbourne Waltons store は1983年に破綻した。
オーストラリアのスラングで、チャンスがない、のもう一つの言い方に、two chances, Buckley's and none というのがある。ケン・オハラが思うに、100年前のメルボルンの人たちは two chances, Buckley's and Nunn といっていたのであろう。それがだんだんと Buckley's and none というようになり、いつの間にか Buckley's に変わり、現在は Buckley's chance というようになった。 この他にもメルボルンではたくさんのデパートメントストアが経営に失敗している。高級百科店として有名だった Georges などは、以前、10年の間に二度も破綻している。 10年前に大丸がオープンした時は50万の人がオープニングに押しかけた。しかしながらその時は、すでにもう、メルボルンではデパートメントストアの時代は終わりかけていたのかもしれない。たぶん大丸の可能性は Buckley's chance だったのだろう。 Copyright: Ken O'Hara |