Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (1)    「スタインズよしこ」


この欄では、有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。
今月は在豪30年以上、現在は、健康食品店 HEALTH FOOD THYMEを経営しているスタインズよしこさんをご紹介しましょう。

*健康食品店を始めたきっかけは?

50代になって夫をガンで亡くし茫然自失の状態でした。このままではいけない!と自分に言い聞かせて、自分の子供たちと同じ年頃の若い人たちに混じってカレッジの通訳コースに1年間通い、通訳の免許をとりました。
ちょうどこの頃、自然食や自然の健康管理に興味をもっていた次女が、仕事を探していたので、娘と一緒に共同経営することにしたのです。ところが次女の結婚相手がシンガポールに転勤になったので、私が仕方なく引き継いだかたちになりました。

*仕方なく引き継いだにしては、ずいぶん頑張って仕事をされたのですね。昨年は、Glen Eira 地域のTaste for Health の部門で最優秀賞をうけられましたね。これはどんな賞なのですか?

Glen Eiraの市長さんが健康管理に熱心な方で、市内のホテル、パブ、レストラン、カフェなど、市民が外食する場所でも健康管理を奨励するのを目的に設けた賞なのです。Taste for Healthというのは、健康に良い食べ物ということで、その部門で、栄養、衛生、味などの面でベストだった、ということです。経営者が応募して、利用者の投票で決めます。健康食品にしたのは、亡夫がスワンヒルで薬局を経営していた時、そこで自然の健康薬品などを扱っていたことも理由の一つになるでしょう。

*スワンヒルはご主人のご実家ですか?

いいえ、夫が薬剤師として自立して店を買い、最初に開業したのがスワンヒルだったのです。そこで2,3年経験を積んでメルボルンに戻ってくる予定だったのが、26年間も住んでしまいました。

*オーストラリアに来られたのはご主人との出会いが理由ですか?

ええ、東京オリンピックの1年前、彼は柔道と空手を習いに来ていて、東京の私の実家の近くに下宿していました。私は神田にある英語学校に通っていて、彼はそこで英語を教えていました。知り合ってから1年半たって、彼は私の両親に結婚の承諾を打診したら、猛反対にあいました。冷却期間を置くべきだ、ということで、彼は日本を出て1年半かけてヨーロッパを廻り、オーストラリアに戻って、薬剤師として自立すべくスワンヒルに店を買って開業しました。結婚したのは出会ってから5年後です。スワンヒルにしたのは小さな町で始めたかったのと、ちょうど手頃な薬局が売りに出ていたからでした。今でもはっきり憶えています。初めてメルボルンを出て車でスワンヒルに向かって走った時のことです。メルボルンを出ると、前方がだんだん平らになってきて、どこまでも大地が延々と続いていました。時々ユーカリの木や羊の群れが見えるだけなんですよ。何時間も家なんて全然一軒も見えないのです。心細かったですよ。スワンヒルの市内に入ったら馬車がカタコト走ってました。何の馬車?と夫に聞いたら、牛乳配達の馬車だということでした。アバラ屋のような新居に着いたので、ますます心細くなりましたが、その家のドアの前に花束が置いてあって “Dear Yoshiko,Welcome to Swan Hill” と書いたカードが添えて ありました。「ようこそ、スワンヒルの花嫁さん」ということなのでしょう。それを見たら胸がいっぱいになってしまいました。

*スワンヒルの26年間で、ご主人の薬局を手伝いながらお子さんを4人育てられたのですね。お子さんたちはみな成人してそれぞれ独立しているのでしょう。

長男は外科の研修医、長女はコンピューターのコンサルタントとしてオーストラリアの会社で働き、今年から東京のオフィス監査の仕事をまかされて、オーストラリアと日本を頻繁に往復しながら仕事をしています。私と一緒に仕事をするはずだった次女は前にも言いましたが、結婚した相手がシンガポールに転勤になったので、シンガポールに滞在しています。末娘の由美は、有線テレビ FOXTEL,CHANNEL[V]という音楽番組の司会をしています。 
3月に女児を出産予定なのですが、先月も大きなお腹を抱えてテレビ出演をまだ続けていました。彼女もプロデュサーも勇敢だと、感心しています。彼女のパートナーで女児の父親となる人は、「レギュージテイター」というバンドリーダーで、昨年、東京、大阪、名古屋で公演しましたが、大成功だったということです。

*スワンヒルと山形市は22年姉妹都市の関係が続いていますね。それにはよしこさんの並々ならぬ影の努力があると聞いていますが。

1979年にスワンヒルの市長だったアラン・クラークという人がロータリークラブの会員として日本を訪れた際に、同じく会員で山形の吉田先生という方と意気投合し、正式に姉妹都市の関係を結ぼう、ということになりました。山形は私の姉の嫁ぎ先きなので様子もわかり、連絡などがとりやすいこともあってお手伝いしました。オーストラリアで姉妹都市の提携をしたのは、スワンヒルは7番目でした。それ以来2年おきに山形とスワンヒルの中学生、高校生が休みを利用してホームステイの交換体験留学を続けています。これまで双方あわせて約1000人ぐらいが体験留学をしています。スワンヒルでは山形名物の「芋煮会」を何度かして好評でした。山形の日本料理店のシェフも来て、日本料理のデモンストレーションもしましたし、スワンヒルの人々にとって山形はとても親近感のある外国なのです。

*これは国の海外なんとか、などという援助とは全く関係のない民間、個人ベースの活動ですよね。素晴らしい「草の根外交」ですね。最後によしこさんの今年のプランを教えてください。

昨年、同年配の日本女性2人と「アクティブライフ・インターナショナル」という会社を起こしました。中年になっても活動的な生活をして残りの人生を楽しみ充実したものにしましょう、という趣旨で、まず手始めに日本の中年の方がメルボルンで休暇を楽しむお手伝いをしよう、ということなのです。同年配の方に、これまでのような観光団体旅行ではない個人的なホリデーを楽しんでいただくお手伝いをしたいとプランをねっています。

*お時間ありがとうございました。私生活、ビジネス双方でよい年になりますようお祈り申し上げます。


インタビュアー       スピアーズ洋子

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