Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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インタビュー (34)     関口理恵                                 
  
この欄では有名、無名、国籍を問わず、ユーカリ編集部で「この人」を、と思った人を紹介していきます。 今月はメルボルンのハイスクールで日本語を教えていらっしゃる関口理恵さんにお話をうかがいました。
 
*関口さんはメルボルンの学校で日本語を教えて何年になりますか?
6年です。メルボルンでは6年ですけれど、その前に日本の日本語学校に4年半ほど勤めていました。
*日本語を教えて10年以上、ベテランですね。日本の日本語学校では、どういう国のどういう生徒さんを教えたのですか?                                       
就学生といって、母国ですでに大学教育などを終えていて、日本語学校で2年ほど日本語を勉強して日本の大学で学ぶ、という人たちです。国別でいうと、たとえば、韓国、中国、オーストラリア、アメリカなどです。
*ではずっと一貫して日本語を教えてこられて、普通の学校での教師経験は? 
ええ、大学を卒業してすぐ普通の学校の中学と小学校の教師をしました。ところが夫がベルギーに転勤することになったので、退職してベルギーに行きました。その間にベルギーで日本語を教えました。夫が駐在を終えて日本に戻ってきてから、ベルギーでの経験を生かして、日本語の単位をとり、日本語教育学校で教えることにしました。それからずっと日本語を教えています。
*ベルギーにはどのくらい滞在されたのですか?

3年半です。娘が二人いるのですが、3歳違いで、二人ともベルギーにいる間に生まれました。出産と子育てがありましたので、教える、といっても出かけていくことは難しいので、家に習いに来てもらいました。

*すごいバイタリティですね。外国で出産するだけでも大変なのに、二人も産んで子育てしながら日本語を教えていたなんて…。その細くて華奢な身体のどこにそんなエネルギーが潜んでいるのでしょう。それはいつ頃のことですか?
上の子が生まれたのが1988年ですから、1980年代の後半から1990年にかけてですね。

*その頃オーストラリアでは日本語の人気が高くて、日本語ブームがまだ続いていたのですが、ヨーロッパでもそうでしたか?

世界の国のなかでは、中国や韓国の次にオーストラリアとかニュージーランドは日本語の人気が高くて、日本語教育が盛んな国だと思いますが、ヨーロッパではそれほど人気のある言葉ではなかった、と思います。日本語?ちょっと変わっていて、いいかしら、面白そう、という感じだったのではないでしょうか? 例えば、日本だとイタリア語をやってみようかしら? という感じに似ているでしょうね。
*生徒さんはどのような方たちでしたか? 

わたしの場合は主婦とか、学生さんとかでしたね。

*ベルギーはご主人の転勤でいらしたのですね。ではオーストラリアも?                                    
ええ、夫が赴任することになったので家族できました。8年前ですね
*オーストラリアにいらしてから直ぐに日本語を教え始めたのですか?
日本で日本語教師をしていた時から、オーストラリアとニュージーランドでは日本語熱が高いと聞いていましたので、オーストラリアではぜひ教えたい、と思っていました。けれど、子供たちもまだ小さいし、言葉も通じなくて文化も違う国にきたのですから、彼女たちもこちらの生活に適応するのが大変だと思いましたので、10ヶ月くらいのんびりしていました。それから日本語教師のポジションに応募申請しておいて、ボランティアで教えていました。1年ほどしてから正式に、私立の女子高の教師に採用されました。
*オーストラリアの学校で外国語、というとどんな言葉を教えているのですか?
学校によってそれぞれ違うと思いますが、わたしが教えている学校では日本語、フランス語、イタリア語があります。
*外国語の勉強は何年生からはじまるのですか?
他の学校は知りませんが、うちの学校の場合は、7年生(中学1年)から始まって、最初の1年で日本語、フランス語、イタリア語の3ヶ国語をやります。
*えっ? 1年で3ヶ国語をやるのですか? 一人の生徒が? ではどのくらいの程度まで?

1学期間に1ヶ国語ぐらいの感じですね。日本語で言うと、ひらがなを紹介します。そして簡単な自己紹介ができて、「犬が好きです。」というぐらいの簡単なセンテンスが言える、という程度ですね。そのくらいのことを一人の生徒が、日本語とフランス語とイタリア語でいえるようになるのが目標です。学校によっては最初から何語か一つを選ばせて教える、という方法を取っています。この方が普通かもしれませんが、うちの学校のようなシステムのところも、私が知っているだけでも何校かあります。これはいい方法だと思うんですよ。3ヶ国語をやってみて、どの言葉が一番自分に向いているか、わかるし。2年目から自分の好きな言葉を選べばいいわけですから。

*なかなか合理的ですね。
そう思います。7年生(中1)の時に3ヶ国語やってみて、8年生9年生(中2、中3)では必ずその中から一つを選んで続けます。そして10年生(高校生)からは、言語を選ぶ生徒はその言語を続けていくし、言語は止めて他の科目を選んで勉強する生徒もいます。
*それでは、2年目から日本語を選んで続ける、という生徒の特徴というか、傾向はどのような?
私が教えているのは、カトリックの私立の女子校なんですけれど、アジア系の生徒がかなり多いのです。ヨーロッパ系のなかではイタリア系がかなりいるし、うん、すごく国際的でメルボルンだな、と思いますね。日本語を選んだ生徒の中にはアジア系2世の子が割りあい多くて、でも、ヨーロッパ系もいるし、3代続いている英国系もいますよ。
*国際的ですね、本当に。具体的にはどんな国の人たちがいますか?

そうですね。はっきりは解かりませんが、アジアでは中国、ベトナム、インドネシア、インド系の生徒が多いみたいですね。ヨーロッパ系ではイタリア、ギリシャ系が多くて、あとフランス、スペイン系の子供たちもいますね。学校がシティにあって、ライゴンストリートに近いからイタリア人が多いとか、ビクトリアストリートも近いのでベトナム人が多い、ということもあるかもしれませんが。

*国際的な理由は、学校の立地条件が影響しているようですね。英国系で2代3代と続いている、いわゆるオージーといわれる生徒達と、そうでない生徒の割合はどのくらいですか?
はっきりしたことはわかりませんが、大体半々ぐらいではないでしょうか。
*メルボルンのシティに学校がある、という地域的な事情があるとはいえ、日本的な常識では考えられないようなことですね?
そうなんですよ。メルボルンだな、ってよく思います。
*それで先月号のユーカリのコラム「オーストラリアで教える」にお書きになったように、日本語を習っている生徒は交流学習で日本へ行ったりするわけですね。

ええ、1年おきに行きます。京都に姉妹校があって、向こうからも1年おきにメルボルンにきています。私たちが行かない年は、向こうからメルボルンに来る、というように毎年交流をしています。

*希望者だけが行くのでしょう? 何人ぐらいで何日ぐらい滞在するのですか?
うちの学校の場合はだいたい20人ぐらいですね。滞在は2週間です。初めの1週間はホームステイをして、後の1週間に旅行をします。広島とか東京に行ったりして。
*費用は幾らくらいかかるのですか?

なにもかも全部含めて3000ドル弱ですね。だから日本語を学んでいる生徒が全部行けるわけではなくて、その費用を出せる家庭となるとやはり20人前後になってしまいます。

*引率も大変でしょうね。
そうですね。でもメルボルンで日本語科のある学校では、ほとんどが交流学習を実施しているようで、旅行中、メルボルンのいろんな学校の生徒にたくさん出会いました。あの学校も、あそこも来ている、という具合でしたよ。4,5校すれちがって、グループが10人ぐらいの学校もあれば、生徒が30人ぐらいで付き添いの先生が5人もいた学校もありました。
*旅行中の面白いエピソードなどたくさんあると思いますが、それをうかがっていると他のことが聞けなくなってしまうので、割愛させていただいて、ご自身のことを少しうかがわせてください。メルボルンは何年になりますか?
約8年です。上の娘が小学校3年生の終わる頃で、下の娘が幼稚園の終わる頃でした。
*学校はオーストラリアの学校に直ぐ入学したわけですか?言葉の問題などはありましたか?
英語がまったく解からないで来てしまったので、もちろん問題はたくさんあったと思いますが、小さな私立の女子校に入れたので、すごく家族的にめんどうをみてくれたので良かった、と思っています。
*小さい頃なので言葉を覚えるのも速いのでしょうね。
こういうことはその子供によってそれぞれ違うと思いますが、うちの娘の場合は上の8歳の方が早く言葉になじみました。
*それは意外ですね。わたしは小さければ小さいほど言葉は速く覚えられるもの、と思っていましたが。
そうですね。一概には言えないと思いますが、私は大学で教育学を勉強したのですが、その当時に習ったことによると、一番理想的な外国の言語を取り入れる年齢というのは8歳ぐらいの時、ということでした。母国語である第一言語がまだ確立されていないうちに、第二言語を取り入れてしまうと、混乱してどちらも中途半端になってしまうこともある、と昔教わったことを、娘をみていて思い出しました。やはり上の子の方が英語に対する馴染みは速かったですから。
*それで、現在は完全なバイリンガル?
バイリンガルといえるのでしょうかね?聞いたり話したりするのは日本人と変わらないと思いますが、読み書き、特に書く方がやっぱり問題がありますね。
*お子さんにとってどちらの方に比重がかかっているというか、楽に話せるのはどちらの方で? 
楽に話せる、ということになると、やっぱり英語のようですね。特に下の子の方は英語の方がいいみたいですね。
*そうすると姉妹のあいだでは英語になりますか?
学校から帰ってすぐは英語で話しています。そこに私が加わると日本語になります。私の英語はもちろん完璧ではないし、わたしは英語が得意じゃないですから、日本語の方が楽なので日本語を話しています。上の子は私が日本語を話すと日本語で答えてくれますが、下の子は日本語で話しても、返事は英語で返ってきたり、日本語の場合もある、という状態です。
*バイリンガルというのは本当に難しいですよね。お子さんが小さい頃に移住してきた日本人家族で、両親が日本人でも子供さんは日本語が話せない、というケースは多いですよ。国際結婚で片親が日本人の場合で、子供がバイリンガルというのはめったにいないですね。日本語能力を保っていく、という何か特別な努力はしていらっしゃいますか?
特別に日本語を保つ、ということで積極的に何かをする、ということはなかったのですが、私が英語が苦手なものですから、家では日本語だけしか話しません。あと土曜日には日本語の補修学校へ行くので、最近日本から来た日本人の子供たちとお友だちになって、日本語を話す、ということですね。だけど、日本人だから日本語の読み書き、文化もしっかり理解できるようになってもらいたいし、もし、日本に帰るとしたら、鉢巻をしめなおして、もっとしっかり日本語を勉強させないとだめだな、とは思っています。
*言葉の面ではバイリンガルというのは、長所になりますけれど、文化の面で日本的なもの、西欧的オーストラリア的なものとの兼ね合い、という点についてはどう考えていらっしゃいますか?

そうですね。難しいですね。両方完璧に、というのは無理だと思うんですよ。もちろん両方のいいところを吸収していてくれればいいのですが。でも日本人ですから、従来の日本人が持っている良さ、文化などは保っていって欲しいですね。

*お嬢さんは日本の太鼓を習っているんですよね。
休暇で日本に帰ったときに、お祭りの太鼓を聞いて太鼓が習いたい、と言い出しまして、幸いメルボルンで日本の太鼓が習えるので、もう5年くらい続けています。
*それはすごい。それでお母さんの方は日本舞踊をされているとか?
ええ、日本舞踊は子供のときからやっていて、まあ、外国に住んでいて何か私にできる日本的なこと、といったら日本舞踊ぐらいなんですけど、たまたま勤務している学校が女子校なので、クラブ活動の一環として、部を作って教えています。日本舞踊というのはちょっとおこがましくて、日本の踊り、ジャパニーズダンスという感じで、民謡的な踊りとか、盆踊りなどを教えています。
*オーストラリアで日本語を教えている学校はたくさんありますが、クラブ活動で「日本の踊り」ができる学校は他にないでしょうね。それで部員は何人くらいいるのですか?

始めて4年ほどになるのですが、初めは10人くらいでだんだん増えてきて、いまでは30人くらいですね。生徒たちはとても楽しんでやってくれています。4年前に始めてずっと続けている生徒もいて、彼女たちは新しく入ってきた生徒に教えたりして、学校内でのいい意味での縦の関係もできていて、いい状態だと思っています。オーストラリアで一番大きなメルボルンの「日本祭」に招待されて、公演したり、今度の日曜日にはフランクストンの「日本祭」に招待されています。学校以外での大きな舞台で発表の機会があるので、生徒たちも楽しんでいるようです。他に「日本の踊り」をしている学校がないので、競争もなくてよく招待のお声をかけていただいています。

*舞台で踊る場合の衣装などはどうするのですか? 
ゆかたですね。初めのうちは領事館などから貸していただいていたのですが、私自身も前から何枚か持っていて、日本に帰るたびに2,3枚買ったりして、今では15,6枚持っていますので、自前でできるようになりました。
*クラブ活動として「日本の踊り」を選ぶ生徒は、やはり日本語を学んでいる生徒が多いのですか?

そういう傾向があるかもしれませんが、必ずしもそうだとは言い切れないところもあります。日本語をやってなくても、踊ることが好きだったり、舞台に出たり、みんなの前で発表するのが好きな生徒がかなりいます。アジア系だけでなくオージーの子もいますし、学校自体の国籍、人種の割合とほぼ同じです。

*いや面白いですね。世界広し、といえどもハイスクールに「日本の踊り」クラブがあるなんて、関口先生が勤務している学校だけかもしれないですよ。オーストラリアのいいところは、そういう風に良いと思うこと、新しいことを気軽に取り入れていくということですよね。ところで話は変わりますが、関口さんがそもそもオーストラリアに住むきっかけとなったご主人は、現在は単身赴任されているのですよね?
そうなんです。オーストラリアの次がフィリピンでした。今はベトナムに駐在しています。
*現代日本では国内での単身赴任はよくあることですね。家族が日本でご主人が海外に単身赴任という形も、かなり増えているようですね。お子さんが小さいうちは一緒に動けるけれど、学齢期になると厳しいですよね。住む国が3,4年で変わるというのは。
そうですね。国にもよるでしょうね。オーストラリアのような国は家族で駐在しやすいですが、現在夫のいるベトナムでは、家族での駐在と単身赴任と半々ぐらいのようですね。だから単身赴任仲間などもできているみたいですよ。
*では関口さんのように家族がオーストラリアで、ご主人が他の国に単身赴任という例は少ないのではないですか? 滞在するにしても配偶者ビザはつかえないですよね。
ええ、ビザが切れるたびに申請しなおして、その度に家族の健康診断だとか、手数がかかって大変なので、勤務先の学校にスポンサーになってもらって、永住ビザを申請しました。
*永住ビザは申請すればとれるものなのですか?
永住ビザにもいろいろな種類があるようです。私の場合は学校にスポンサーになってもらったので、英語のテストだけでした。
*どんなテストですか?
読む、書く、聞く、話す、の4種類を1日がかりでした。
*そうですか。しっかりテストされるわけですね。テストに受かって、永住ビザを取られたので、オーストラリアには住みたければいつまでもいられるわけですね。それにしても家族で海外の別々の国に住んでいるというのは、いろいろとご苦労がおありだと思うのですが。
やっぱり経済的に大変ですね。子供のスクールーホリデーの度に、ベトナムとオーストラリアと日本のどこかで家族が会うようにしていますが、飛行機代だけでもそうとうな金額になります。
*ご主人の再転勤が決まった時に、ご家族はオーストラリアに残ることにされた特別な理由がおありなのですか?
子供がオーストラリアの学校にやっとなれてきた、ということもありましたし、私自身も仕事を始めて、やりがいを持てたときでしたので、そういうこともありました。ただ、どうしてもオーストラリアに、と思っていたわけではなくて、フィリッピンのインターナショナル・スクールについて調べもしたのですが機をいっしてしまって。フィリッピンに行くにしても、日本に戻るにしても、引越しは大変ですし、そのままオーストラリアにいた方が、簡単だった、ということもありました。でも本当はどちらが良かったのかわかりませんね。夫についていって、家族でいろいろな国での生活を体験する、ということもすごく良いことだと思います。
*難しいですよね。子供の年齢とか、転勤先の国にもよりますよね。アフガニスタンだとか、イラクなどの国となると。いくらどこまでも夫についていく、といっても。
でも、外交官の方などで、赴任先がどんな国でも家族で行って、いろいろな体験をたくさんして、それがとても良かった、という方もいらっしゃいますし。両方の人生を体験できないわけですから、本当にどちらが良かったか、こればかりはわからないですね。
*現在は、オーストラリアにいらして永住ビザをもっていらっしゃるし、お子さんもこちらの学校、生活にすっかりなじんでいるわけですから、将来もずっとこちらに住みたい、と思えばでできるわけですよね?
そうなんですが、そこのところを、まだはっきり考えていないのです。オーストラリアに来た時は上の子が小学校3年生で、下の子が幼稚園を終えたときでした。それからずっとこちらの教育を受けて、今高校2年生と中学2年生になっているわけですが、日本人なので日本の教育も受けさせたい、と思います。そうなると上の子の場合、次の大学が、日本の教育のラストチャンスになるわけです。だから日本の大学に行かせた方がいいのかな、と思ってみたりしています。もし、そうなると日本語をもっと勉強させなければいけないのですけれど。本人の意向もありますし、まだ決めかねているところなんですよ。
*小学校3年でこちらに来て大学教育までオーストラリアで受けてしまうと、やはりかなりオーストラリアの影響が強くなるでしょうね。
そうですね。だからオーストラリアと日本で教育を受けて、将来はどちらで生活するかを自分で選べるチャンスを与えるとしたら、やはり日本の大学教育を受けさせるべきかな、とも考え始めたところなんですね。それで、そういう話を本人たちにもしているので、そういう気持ちも少し出てきたみたいですね。
*では将来はご家族そろって日本で暮らせることになるかもしれないですね。

まだわからないですね。なにしろ8年も日本を離れているので、日本の生活に適応できなくなっているかもしれないし。

*そしたらまたオーストラリアに戻ってくればいいじゃないですか。選択の余地があるということは、いいことですよ。日本では老後を海外でのんびり過ごしたい、という人が増えているようですし、もし日本に帰ったとしても関口さんの場合はオーストラリアのビザもあることだし、言葉の心配はないでしょうから、老後をオーストラリアで過ごす、ということもできるわけですね。そのときはハイスクールの生徒ではなくて、老人ホームの人たちに日本舞踊を教える、なんて可能性もありそうですね。それでは今日はお忙しいところくを貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
                                             インタビュー:スピアーズ洋子

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