Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (3)
 
Collins Street   ―  その 3 ― 
ケン・オハラ 
今回で Collins Street の 3番目のブロックに来た。ここにある The Scots Church から Town Hall までは古い歴史的な建物が並んでいるが、ここでは 171 Collins Street の経済破綻のてんまつを語るとしよう。
靴のチェーン店の経営が当たって財をなした the Figgins family は、この一角に何百万ドルもつぎ込んで、メルボルンで高級品を扱う小売店を建設したが、 2年後に失敗に終わった。靴のチェーン店の方は持ちこたえたが、基礎を築き上げた Donald Figgins は、ヘリコプターの墜落事故で亡くなるという不幸に見舞われた。 一大計画が失敗に終わった後、他のディベロッパーにより再度試みがなされ、40店舗の高級小売店が入れるように改造されたが、どの店も客足がつかず、 すぐに閉店となった。2002年の現在、小売店が再び営業をしているが、どれもあまりぱっとしていない。 たぶんここは小売店にとってはあまり運の良い場所ではないのだろう。
この向かいは Georges ビルディングである。約100年前に建てられ、メルボルンで最も高級でファッショナブルな百貨店として知られてきた。 Georges でお買い物、といえばステータスシンボルにもなりえたほどだったが、1995年に1世紀に渡る歴史を惜しまれながら閉店した。 1998年、ファッショナブルなロンドンのデザイナーが 25ミリオンドルを改造費につぎ込んで、Georges が新装開店したが、こちらは翌年閉店となった。 現在上階はオフィスとなり、地上1階は今もテナントを募集している。
さて、ここで David Marriner という Regent Theatre を経営する果敢なディベロッパーを紹介しよう。 彼は、世界でヒットしたミュージカル「オペラ座の怪人」を自身がオーナーの the Princess Theatre で上演させ、メルボルンでも大当りし興行的成功を収めた。 この成功は David Marriner の名をあげたと同時に、膨大な収益ももたらした。
彼は 1990年代初めに不動産投資に失敗し危うく倒産しかけたこともあるが、その後、建設組合の年金基金からのバックアップを得て、 メルボルン屈指のディベロッパーの一人となった。メルボルン市とビクトリア州の間に入って、Regent Theatre を蘇らせた立役者でもある。

Regent Theatre は 1929年に建設されたけんらん豪華なハリウッドスタイルの劇場である。1969年に閉館となり市に買い取られて以来、20年間、保存か取り壊しか、 議論され続けてきた。その間一度は取り壊しが決定された。それをくつがえしたのは、保存を支持して解体作業を拒否した建設組合の労働者たちであった。 からくも破壊をまぬがれた劇場は、1994年に保存維持の改造補修が開始され、1996年に完成した。劇場の内部は一見に値する。

その後 David Marriner は州のヘリテージ保存維持に貢献したということで、ビクトリア州の名誉市民に指名された。 実は彼は Regent Theatre の隣にある歴史的な建物を一つ取り壊してはいるのだが。
次に彼が手がけたのは Collins Street と Swanston Street の角にあったシティスクエアーである。
これは 1980年に完成と同時に建築賞が与えられたのであるが、市民の広場としての機能を果たしえず失敗作とみなされた。 市行政当局は 15年間再開発を試みた。最初に選ばれたディベロッパー Chase Corporation は、事業が開始される前に倒産してしまった。 次に指名されたのが David Marriner だった。お手並み拝見と、業界の注目をあびるなか、彼は建設組合年金の融資をバックに Regent の隣に the Westin Melbourne hotel and apartments を完成させた。

再掲載
*Copyrigt Ken O’Hara
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