Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (5)
 
Collins Street   ―  その 5 ― 
ケン・オハラ 
1888年のメルボルンは引き続いたゴールドラッシュの影響を受けて、 世界でもまれな富める都市であった。農産物は高値で取引され、 株や不動産の投機に沸いていた。市街地は整備され、 新しい郊外に豪華なビクトリア様式(ビクトリア女王の時代に作られたモノの呼び名)の住宅が建てられた。 現在の Kew, Camberwell がこれにあたり、現在でも多くの邸宅が残っている。 しかし、当時 Collins Street に建てられたほとんどのビルディングは残念ながら、 新しいオフィスビルにとって代わられており、その多くは趣のないリバイバルのゴシック様式である。
さて、それが世の常であるように、当時のブームにも破綻が訪れた。 銀行はつぶれ、株価と不動産は下落した。不況が続き人々は生活苦にあえいだ。
それから何回かのブームと破綻のサイクルが繰り返された100年後の1980年、 メルボルンに何回目かの不動産ブームが起き、それに続くお決まりの破綻が訪れた。 100年の間をおいて起きたこの二つの不動産ブームは、 メルボルンの随所にその記念碑を残している。 Collins Street の Queen Street と Elizabeth Street間のブロックにその例がいくつかある。
333 Collins Street のオフィスビルは、 この二つのブームに関わりのあったいわくのある建物である。 この建物は1893年に建設された。 ロビーの金箔がほどこされた天井とモザイクの床は完全に復元されて保存されている。 しかし、この建物の修復改造工事は、メルボルンの不動産業界の歴史に残る最大の経済破綻となった。

1988年、工事着手の段階で、 the State Government Insurance Commission of South Australia は、1991年に工事が完了した時、 もし買い手がつかなかった場合、この建物を$520 millionで購入するという保障を業者と取り交わした。 不動産ブームはまだまだ続き、地価はあがり、 完成した暁にはビルの値段は$520 million を軽く越えるはずであった。 しかし、予定通り1991年に建物は完成したが、予想の半分の値段しかつかなかった。 改造工事が完了した時点で、ブームも完了していたのである。 The Insurance Commission は $520 million を払わざるをえなかった。 南オーストラリア州の納税者が払わされたのである。 ビルは5年後の1996年に香港の Wing On International が$243 million で購入した。

向かい側の Collins Street には ANZ Bank Building, Old Stock Exchange Building, the Safe Deposit Building などの際立った1880年代の建築が並んでいる。
角にある 380 Collins Street は 当時、 イギリス&スコットランド&オーストラリア銀行の代表取締役だったSir George Verdon によって建設された。 彼は建築や絵画などの芸術に興味があったが、銀行業は嫌いであった。 ビルの最上階をマネジャーである自分の住居にし、室内装飾に金のいとめをつけず、 銀行の利益の多くをつぎ込んだ。ロンドンから特別調査官が派遣されたが、それをうまくかわした。 その後、三代で50年間に渡り、このローカル銀行の歴代のマネジャーたちは、 ロンドンからのプレッシャーにもめげず、このビルの上部に住み続けた。
このような愚行によって、誰かがどこかで損害をうけ金を払わされていたわけだが、 現在の私たちはその愚行の恩恵も受けている。なぜなら、333 Collins Street, 380 Collins Street の建物に入って、19世紀メルボルンの豪奢な室内装飾をかいま見ることができるのだから。


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