Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (9)
 
Bourke  Street   ―  その 3 ― 
ケン・オハラ 

Bourke Street を歩いてKing Street と William Street の間のブロックに来た。ケン・オハラはこの一画のビルの前を通る時、必ずといっていいほど一人の男の名前を思い浮かべる。メルボルンを舞台に成功と失敗とスキャンダルをまき起こし、1980年代の不動産ブームを疾風のように駆け抜けていった男のことである。

そしてまた彼が関わった、ここから東へ8kmほど行った感じのいい郊外の町 Camberwell のことも思い起す。

さて、話は1960年代の後半にさかのぼる。The AMP Society は、このBourke Street のKing Street とWilliam Street の北東の角に大きなオフィスビルの建設計画をたてていた。現在の Bourke Place、55階建てのオフィスビルである。 

丁度同じ頃 National Mutual Life も Camberwell Junction にSafeway supermarket とTarget department store の建設準備を進めていた。

そしてメルボルンの建設現場では Floyd Podgornik という名のユーゴスラビアからの貧しい移民の若者が一労働者として働いていた。

Camberwell の町では Mary Campigli という老女が小さいけれど住み心地の良い家に住んでいた。

National Mutual は Camberwell Junction の開発に当たり、 Mary Campigli さんの家を除いたすべての土地をすでに買い上げていた。ところが、いくら高値でも市が圧力をかけても、彼女はガンとして立ち退かなかった。市民が彼女の味方になり、法廷での争いのための経済援助もして、ついに彼女はそこに住み続ける権利を勝ち取った。そして死ぬまでの次の10年間をスーパーの駐車場に囲まれた家に住み続けた。死後、家は遺族によって売却された。

1980年代、メルボルンの建築現場には、ユーゴスラビアからの移民 Floyd Podgornik の20年後の姿がみられた。しかし、この頃の彼は、ロールスロイスで現場に現れて仕事の進み具合をみていた。

National Mutual はCamberwell に娯楽施設もある大ショッピングセンターを新たに建設する構想をねっていた。

AMP Society はKing と Bourke Street の角に大きなオフィスビルの建設に着手したところだった。 

 Floyd Podgornik は1987年に、AMP の向かい側 561の古い歴史的な建物とその裏の土地を$12.8million で購入した。古いビルの正面を修復保存し、後ろに接続したタワービルを増築。建設費に約$100million をかけて完成させた。

一方、Camberwell では、新しい大ショッピングセンター建設を企画しているAMPに対し、住民が反対闘争を展開していた。長い法廷での争いの途中で、National Mutual は企画を放棄し、この一画をFloyd Podgornik に $32 million で売却した。 Floyd Podgornik はビクトリア州政府から、この大ショッピングセンターの開発許可をとりつけ、 Camberwell 市議会からも同意をえることに成功した。また開発計画の一部となる土地を、彼に売却する契約も市議会と取り交わした。これを知った Camberwell の市民は議会を解散させ、新たに選ばれた市議会議員は Floyd Podgornik との契約履行を拒否した。

Floyd Podgornik はこの他にも多くの問題を抱えていた。1980年代の不動産ブームは終わりを告げようとしており、Bourke Street に建設したビルの値段は下がり始めていた。

1990年10月、Floyd Podgornik は競馬に行って自分のもち馬のレースを観てから、ロールスロイスを運転してSt Kilda Road にあるペントハウスに戻り、部屋に鍵をかけてピストル自殺をとげた。20年の間に、一介の建設労働者から身を起こし、メルボルンの大きな不動産のオーナーとなり、州政府や Camberwell 市議会まで動かすほどになった男のあっけない幕切れだった。死後、彼の私生活がにわかにマスコミの脚光を浴びた。妻と愛人との間で遺産争いが公になったからである。グラマラスな二人の女性の姿がテレビニュースの画面に何度か現れた。妻は夫が残した不動産の一つ、Bourke Street の有名な高級レストラン Florentino の営業権を得、愛人は彼のポルシェとペントハウスに残された家具、それにいくばくかの金を得た。

翌1991年、Floyd Podgornik が経営していた the Podgornik companies は Bourke Street のビルを$65million で売りにだしたが、買い手がなかなか現れなかった。3年後の1994年に $12.3milliom で香港の会社が購入した。この値段は Floyd Podgornik が7年前にこの敷地に払った金額以下である。ケン・オハラが思うに、これは1990年代の最大のバーゲンであろう。

Bourke Street のこの一画では the AMP Society が一応安定した投資に成功している。 Bourke Place も William Street との角にある AMP Square building も健在である。

郊外のCamberwell Junction においては、Podgornik companies が Camberwell Council を相手取り、契約不履行で訴訟を起こし、$25 million の賠償金で決着がついた。費用は Camberwell 市民の税金でまかなわれた。民主主義というものは高くつくものである。だが、そのようにして個人や市民の権利が守られている尊いシステムでもある。Camberwell council は問題の場所を  Woolworths に $12 million で売却。最初に計画した大ショッピングセンターより規模をずっと縮小した Target と Safeway Stores が完成した。

 

Copyright: Ken O'hara

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