Yukari Shuppan
オーストラリア文化一般情報

2002年~2008年にユーカリのウェブサイトに掲載された記事を項目別に収録。
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MELBOURNE Street by Street (16)

Lonsdale Street   ―  その 1  ―    

ケン・オハラ 

Lonsdale Street のトップエンドは、近年、日本の投資家がメルボルンの不動産に投資をして、痛い目にあったところではあるが、100年前はちょっとばかり面白いところであった。昔、このあたりは政治家たちが飲食店や売春宿などで散財するちょっとした花柳界であった。

これまで私たちは紙上で Collins Street,  Bourke Street, Little Bourke Street, Spring Street  と歩いてきたので このあたりで左に曲がって Lonsdale Street の最初のブロックを見てみよう。 

左に曲がると PricewaterhouseCoopers Centre がある。1987年に Pasco Corporation of Tokyo が$57,500,000 で購入した。上等なビルディングであるが、市場の最高時に購入、2000年に$41,569,000で売却された。

もう少し先へ行くと、左に 59-71 Lonsdale Street/222 Exhibition Street がある。この不動産はJapan Building Project Co Ltd が1988年に$135,000,000で購入した。これも市場のピークで購入。1999年に $98,100,000で売却された。

これらの損失の実態は、数字の上の差額よりもさらに大きい。なぜならばオーストラリアドルに対して、円が著しく強くなったからである。1980年代の後半、1ドルは110円であった。日本の投資家が不動産を購入した当時は、豪ドル1ドルにたいして110円を払わねばならなかった。しかし売却した時点では豪1ドルは70円になっていたのである。

これらの不動産は投資としては明らかによくない、しかし1980年代に、東京で投資目的で購入され、1990代後半に売却されたものに比べれば、たぶんいくらかましだろう。

さて、Spring Street と Little Lonsdale Street と Exhibition Street に囲まれた Lonsdale Streetの北側の一画は、オーストラリア政府が長年のオーナーである。

この一画の北側には政府の2つの主な建物がある。The Casselden Place Commonwealth Offices と the Telstra Centre、それに新しいオフィスビルも建てられつつある。それといくつもの小さな歴史的建物が補修された。幸運にもこれらの建物が取り壊しを免れ、補修され保存されたのは、政府が長い間放置したままだったので、その間に歴史的な価値が生じてきたからである。

これらの建物のなかには1877年に建てられた17 Casselden Place や市中で一番古い平屋の建物などがある。

これらの建物は百年前の売春宿の中心であった。"Little Lon" という Little Lonsdale Street を短くした通称はメルボルンの "red light district" (赤線地帯)の別名であった。

このあたりは議事堂から近く、1890年頃は政治家たちが徘徊していた。

当時のこと、ある日、州議事堂で議長の槌(会議の時に議長のテーブルに置かれ、会議の始まりや静粛をうながす時に使われる。)が紛失していることが発覚し騒ぎとなった。槌は議長のバッジ、政府のシンボル、鬼にとっての金棒のようなものである。その紛失はその日のうちに一大スキャンダルとなった。

この槌は政治家が Little Lon の売春宿に持ち込んで忘れていった、という話がまことしやかに信じられている。ある有名な売春宿に堂々と鎮座していたのを見た、と報告するジャーナリストもいた。

その後の捜査にもかかわらず、100年経った現在でもこの槌は行方不明のままである。

ところで Little Lon の住人はこうした罪深い俗人ばかりではなかった。聖人もいたのである。

Mary McKillop は1842年にメルボルンで生まれた。彼女は30歳になる前に、カトリックの尼僧の使命として、貧しい子供たちに教育を与える場を設立したが、教会との異議論争の末、1871年、オーストラリアのカトリック司教から破門された。しかし、1873年、イタリアにローマ法王を訪ね、彼女が使命を遂行するためのリーダーである旨を、ローマ法王に承認してもらう。さらに、その使命は、孤児や貧しい病人、未婚の母親やそれを必要とする人々の避難所を提供することにまで拡大された。

Mother Mary McKillop はそのミッションを Little Lon で数年間実行した。

彼女は1909年に他界した。1973年 Mother Mary McKillop は、ローマカトリック教会から正式に saint (聖人)として認められ、オーストラリアで最初のそして唯一の聖人となった。

Little Lon の中ほどにあった空き地は、現在駐車場になっている。10年前オーストラリア政府はここに高層建築を建てる計画だったが、不動産ブームの終わりと共に計画も立ち消えとなった。2002年、考古学関係者が駐車場を発掘し、いろいろな興味深い品々を見つけたが「議長の槌」は、見つからなかった。

もし、いつかここに高層建築がたてられるとしたら、基礎工事は注意深くするように、ケン・オハラはアドバイスしたいと思っている。

この記事は2003年に掲載したものを再掲載しています。
copyright: Ken O'Hara
*この記事及び写真の無断転載、借用を禁じます。

     

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